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メジロティターンの死・2──幸福な大往生

メジロアサマのために高額で購入した名血の輸入繁殖牝馬シェリルにメジロアサマをつける。そうして誕生したのがメジロティターンだった。生まれる前から競馬ファンが大好きな競馬ロマンをしょっている。そりゃあ注目される。
何度も新聞で紹介されたこの話を当時の競馬ファンはみな知っていた。メジロのロマンだと応援する。かくいう私も典型的なそのひとりだった。なつかしい。
そういうことから注目され人気のある馬だった。未勝利を勝ったのが3月。春のクラシックには間に合わなかった。夏に連勝し、上がり馬としてセントライト記念を勝つ。が、そこでケガ。菊花賞は出られなかった。
半年後に復帰。復帰2戦目で日経賞を勝つ。それなりに活躍していたとも言える。だが「それなり」だ。
本番は天皇賞。北野オーナーはメジロアサマの仔で天皇賞を勝つ夢をティターンに託したのだ。メジロティターンはワンチャンスを見事に活かす。しかもレコード勝ち。ロマンとともに強運も背負っていた。

この天皇賞、1番人気で敗れたのはサンエイソロン。「クラシックトライアル三冠制覇」という珍妙な記録を成し遂げたサンエイソロンは、皐月賞は直前取消し、ダービー、菊花賞は2着とクラシックを戴冠することなく、古馬となっても八大競走は勝てず、この天皇賞12着が最後のレースとなった。ワンチャンスを活かしたメジロティターンが強運なら、こらちは何度も与えられたチャンスをどうしても活かせなかった非運の馬である。
2番人気5着は前年の有馬記念馬アンバーシャダイ。天皇賞はこれで3度目の挑戦。どうしても勝てない。このあと翌年春、4度目の挑戦で悲願を達成する。

メジロティターンはこのあと勝てないまま引退する。よく言われることだが「まるで北野オーナーに天皇賞をプレゼントするためだけに生まれてきたような馬」だった。そして父となってメジロマックイーンを送り出すのだから見事な競馬ロマンである。

 この当時『優駿』には大橋巨泉の対談コーナーがあった。メジロティターンが天皇賞・秋を勝った翌月、ゲストは北野オーナーだった。ここで巨泉は北野オーナーに「メジロという冠を止めて欲しい。こんな意味のない習慣があるのは日本だけだ。欧米ではウンヌン」と噛みつくが北野さんは「自分の馬に自分の愛着のある地であるメジロ名を冠することになんの問題があるのだ」と相手にしない。また「ティターンではなく英語の発音はタイタンだ。メジロタイタンが正しい」とのケチにも、北野オーナーは「スタッフが附けた。わたしは英語のことは知らない」と相手にしなかった。
 それこそ顔を真っ赤にしてしゃべっているのであろう巨泉と、飄々とそれを交す北野さんのやりとりがあまりにおもしろく、十数年後、私は「鼎談・冠馬名を考える」という競馬小説のヒントにさせてもらった。
 が、この当時の私は巨泉の言うように「冠馬名はかっこわるい」と考えていた。そのことは正直に書いておかねばならない。

 父メジロティターンと息子メジロマックイーンの競走成績は比べようもなく息子の方が優秀だ。でももしも人間のように、死ぬときになにか悔いるとしたら、それは息子の方にあったろう。理由は言うまでもない。
 昭和61年に繋養先の本桐牧場でメジロティターンに会った。芦毛馬は白馬になっていた。真っ白になっていたメジロティターンが懐かしい。(あちこちひっくり返せば、この「昭和61年、真っ白な本桐牧場のメジロティターン」の写真があるはずなのだが……。)
 
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