メジロティターンの死・1──誕生のロマン

 名ステイヤー・メジロマックイーンの父で、自身も82年天皇賞・秋を制したメジロティターン(牡、芦毛、父メジロアサマ、母シェリル、母の父スノッブ)が13日早朝、老衰のため繋養先の北海道洞爺湖町のメジロ牧場で死亡した。31歳だった。

 メジロティターンは78年3月22日に北海道・伊達のメジロ牧場で生まれ、メジロ商事(株)の所有馬として美浦・尾形藤吉厩舎からデビューし、3歳秋のセントライト記念で重賞初制覇。この直前に死去した尾形師に捧げる勝利として話題になった。その後は息子の尾形盛次厩舎に移籍。通算27戦7勝で、重賞制覇は他に82年日経賞もあり計3勝。83年の有馬記念6着が最後のレースとなり、北海道三石町(現ひだか町)の本桐牧場で種牡馬生活に入り、メジロマックイーン(90年菊花賞、91&92年天皇賞・春、93年宝塚記念)を送り出し、父メジロアサマ(70年天皇賞・秋)→自身→マックイーンと史上初の父子3代天皇賞制覇という快挙の立役者になった。00年に種牡馬引退後は洞爺湖町のメジロ牧場で功労馬として余生を過ごしていた。(後略)

(サンスポ2009/10/14)

http://www.sanspo.com/keiba/news/091014/kba0910140505003-n1.htm




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昭和57年の秋の天皇賞馬だ。府中で観戦した。レコード勝ちだった。2着の大井出身のヒカリデュールを1馬身半突き放していた。3着も大井出身のカツアール。カツアールは中央入りした直後、前年宝塚記念を勝っている。ここで2着したヒカリデュールはこのあとのジャパンカップで日本馬最先着の5着となり、そのあと有馬記念を制する。このころの南関東出身馬は強かった。ヒカリデュールの馬主はマルゼンスキーの橋本さん。いろいろ語りたいことはあるが先を急ぐ。



このときメジロティターンは単勝4番人気。4歳時にセントライト記念を勝ち、5歳春に日経賞を勝っているが、その後のここにいたるまでの成績はたいしたことはなく(9.6.5.5着)どちらかと言えば人気先行型の馬だった。トライアルにふたつとも出走し、オールカマーを1番人気で5着、毎日王冠を5番人気で5着である。ふつうなら八大競走を勝てる器ではないと見捨てられるパターンだ。



人気先行の理由はドラマチックな出生がよく知られていたからだろう。メジロの北野オーナーは「ダービーよりも天皇陛下の御名前がついている天皇賞を勝ちたい」というぐらいの天皇賞崇拝派だった。夢を実現してくれたメジロアサマがかわいくてたまらない。勇んで種牡馬にする。だが種牡馬入りしたメジロアサマは精虫の数がすくなくて使い物にならなかった。病気のときに使った抗生物質が原因と言われた。受胎0の年もあった。種牡馬失格である。シンジケートも解散した。



それでもなんとしてもメジロアサマの仔でもう一度天皇賞をと北野オーナーは牧場で引き取り種牡馬生活を続けさせる。メジロアサマの仔は生涯たった19頭しか生まれていない。種牡馬として異様な数字である。サンデーサイレンス的人気種牡馬が一年に200頭も生産したことを考えるといかにすくないことか。とはいえ人として考えたら異なる肌に自分の血を19人も残せるのは夢に近い。私は種牡馬タカハシゲンイチロー号が大嫌いだが3頭の繁殖に4頭の子をなしているのは心底うらやましい。それはともかく。

初年度産駒から快足馬メジロエスパーダが登場する。好きだったなあ快足の芦毛メジロエスパーダ。まさにメジロのロマンである。ネットには何でもあるようで実は何もない。たとえばディープインパクトのことは有象無象山ほどあるがメジロエスパーダはぜんぜんない。だったらおれが書くか。ってそんなもの誰が読むんだ(笑)。
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