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1985年の思い出4──競馬曲線のピーク

桜花賞馬エルプスが死んだことを知った。思い出のある馬なのでそのことを書いておこうと思った。1985年は昭和60年。桜花賞はエルプス、オークスは人気薄(たしか今でも単勝最高配当のはず)のノアノハコブネ。その辺の「あっさりした思い出」を書くつもりだった。「1985年の思い出は全部で10ぐらい」と思っていた。

書き始めてすぐ「ミホシンザン二冠、シリウスシンボリダービーの年」と気づく。たいへんなことになった。「ミホシンザンの思い出」で30、「シリウシンボリの思い出」で20ぐらいは書ける。いや書かずにはいられない。サクラユタカオーでも30は行く。そしてそしてこの年は「ルドフル5歳時」である。これだけで50はある。書かねばならない。ミスターシービーもいる。カツラギエース。サクラガイセン。スズカコバン。ギャロップダイナ。切りがない。

1985年は昭和48年(1973年)から競馬を始めた私にとって、あらゆる面で競馬山形曲線のピークの年だった。



【芸スポ萬金譚】に「クイズヘキサゴン2」のことを書いた。1から全面的に模様替えをし、暗中模索で始まったあの番組は大きな成果を上げ今も高視聴率番組だが、山形曲線のピークは、おバカさんタレントの逸材(笑)がまるで水滸伝のように次第次第に集結し、Pabo、羞恥心が結成されて行く流れだ。あの充実ぶりはほんとうにおもしろかった。そのあとの歌のヒットや紅白歌合戦出場はいわば餘禄。そこに到る流れこそが最高だった。

私もそう。ハイセイコーから始まった私の競馬はこのときがピークだった。このあと物書き仕事の一環に競馬が加わり私は競馬ライターになる。牧場、騎手調教師取材等アマでは不可能だった様々な体験をさせてもらった。欧米の競馬を観戦したりした。しかしそれらは「ヘキサゴン」メンバーの紅白歌合戦出場のような餘禄。ことばを変えるなら「もうひとつの競馬人生」。私の競馬ピークは1985年だった。



「1985年の思い出」なんてのを書き始めたら、それは私の「競馬一代記」になってしまう。昭和60年のノアノハコブネのところに「馬主は珍馬名で有名な小田切さん。私が小田切オーナーの馬を初めて知ったのは昭和57年のミスラディカルだった」と書いたように、次から次へと連鎖が始まり切りがなくなる。「1985年の思い出」は100も200も続くだろう。

明日の毎日王冠の予想を書く気もないが、かといってここで延々と思い出話をする気もない。オディールやエルプスのようにリアルタイムで感じた印象的なことを短文でまとめておきたいだけだ。
書き始めてすぐ気づいた。しかしすぐには止められない。当初の予定通り「エルプス──マグニュード──ミホノブルボン」まで書いたのでやっと止められる。反省。
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