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騎手話──福永と増沢

 私はいつも競馬を馬で語ってきた。騎手に興味はなかった。それでも福永洋一だけは意識した、させられた。人気のない馬をもってくるのだ。あのひとだけは特別だった。エリモジョージやカンパーリのころだ。


 時が流れ、騎手ブームになり、いつしか私も馬券検討要素に騎手を考えるようになっていた。だからこそ騎手になんの興味もなかった時代、それでも意識せざるを得なかった福永洋一の特別さを思う。
 武邦も杉本さん命名で"名人"と呼ばれていたが、騎手に興味のない関東の競馬ファンの私には関西の一騎手に過ぎなかった。完全な東高西低の時代、関東は関西を目下に見ていた。そんな中、関東の競馬マスコミも福永の騎乗馬だけは無視できなかった。騎手に興味がなかったからこそ強烈な印象がある。



 騎手に興味がなく、詳しい知識もなく、よって意見もないのだが、ひとつだけ当時から「これはよくない」と思っていたことがある。増沢の最多勝記録だ。JRA初の2000勝ジョッキーである。
 今の時期、地元福島で固め打ちをし、毎年100勝をあげていた。今とは時代が違う。100勝はすごいことだった。彼が福島で逃げ馬に乗り、「来るな!」と言えば、誰も競って行けないと言われていた。地元馬主の馬に増沢が乗るとき、たいしたことのない馬でも単勝は100円台になり、誰もケンカに行かず、増沢はきっちり勝った。私が中央の夏競馬に興味がなく南関東に走ったのは増沢のせいもある。



 それはそれでひとの生きかただ。だがそんな形で量産される勝ち星が「JRA史上初の2000勝」と賞讃されることは疑問だった。


 いまの私だったら「頭が決まっているのだから楽だ」と、このようなつまらない競馬に、嬉々として参戦した可能性は高い。でも当時は純粋だ。そんな政治的なかけひきのある競馬には興味がなかった。そもそも「地元馬主」で人気になること、そしてきっちり勝つことは、当時の私には胡散臭いものだった。競馬新聞の情報覧には太字で「地元馬主」と入るのが恒例だった。



 中央騎手の最多勝は岡部がとり、やがて武が抜いた。正常な記録である。
 最多勝ジョッキーではなくなったが、増沢も晩年にダイナガリバーでダービー2勝目をあげ、いまも「最年長ダービージョッキー」である。めでたしめでたし。


 福永が元気だったら。
 未練はそれだけである。

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No title

もう3ヶ月以上更新が有りませんがどうしたのでしょうか?

No title

まだ入院中なのでしょうか、更新がないので心配しております。
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