スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「血と知と地」から学ぶこと③──マスコミへの接しかた


社台の善哉さんとシンボリの和田さん、競馬マスコミの好き嫌い


◆下記の「馬喰の好き嫌い」の附記として書いたが、こんがらがるので独立させた。


始めからの理解ではない──誤解のないように


 競馬界の大物であるシンボリの和田共弘さん、シャダイの吉田善哉さん。
 両者にインタヴュウした記者はみな口をそろえて、善哉さんを称え、和田さんを批判する。
 和田さんが競馬マスコミなどどうでもいいと冷たい態度を取ったのに対し、善哉さんは理解ある態度を示したからだ。


 和田さんが「活字になったからといって馬が強くなるわけではない」と公言し、まとわりつく取材者を邪魔物扱いしたのは有名だ。対して善哉さんは、そういう態度を取るスタッフに、「このひとたちはこれが仕事なのだから」と庇った(庇われたライターから聞いた話)という。この両者のちがいは大きい。とにかく全般的に、競馬マスコミ人にとって、和田さん不評、善哉さん好評である。



 ということからも、今回読みなおして気づいた「善哉さんは馬喰ということばを好んでいた」という話は印象的なのだが、これだけだと「善哉さんいいひと、和田さんいやなひと」だけになってしまいそうなので、すこしフォローしておきたい。



 私が社台と長年親密に関わってきたこの本の著者・吉川良さんと親しくおつき合い頂き、あれこれ聞いた裏話の中で強く印象に残っているのは、吉川さんの懊悩である。


 吉川さんは文筆家としての誇りが高い。吉川さんの根源は「世界一の大金持ちも貧乏人もみな同じ人間」という視点だ。一見卑屈な書きかたをするときもあるが、それはこの味を強調するための手法である。吉川さんの腰の低さは、微風に吹かれただけでもすぐに頭は下げるがぜったいに折れない野草のつよさに似ている。

 いや吉川さんの中には明確な順序がある。人びとを魅了する音楽や絵画を創ったひと、すなわち藝術家礼讃だ。それは三人の娘さんをみなそっち方面に進ませたことからもわかる。そして一方、権力を手にして悦にいる政治家や金持ちを蔑視する。


 吉川さんはいつも馬産家から人間あつかいされないことを嘆いていた。馬産家が好きでちかづいて行く。しかし「個」で馬産をやっているひとたちにとって、競馬物書きなんてのはまとわりつくハエでしかない。冷たくあしらわれる。

 吉川さんはMなので、それでも近寄って行き、その「冷たくされたこと」を味のある随筆にしたりする。これなんかは私には出来ないことだ。冷たくされたらもう近寄らない。屈辱を感じたらそんな仕事はやめる。

 社台のことを頻繁に書いている吉川さんを、社台のたいこもちをしているヤツだと、ある日高の生産者が「よぉ、しゃだいこ」と呼ぶ。顔が熱くなるような侮辱だ。吉川さんはそれすらも文章にしてしまう。ほろりとする随筆に仕上げる。鉄人だ。


 私はこれを初めて読んだとき(昭和50年代)、この「しゃだい」と「たいこもち」をかけた「しゃだいこ」を、うまいなあと思ったことも正直に書いておく(笑)。



 ところで、ここでまた明言しておきたいが、私は冷たくされたからと言って、それに立ちむかってはゆかない。批判はしない。これは私のひととしての基本なので、本論から脱線するが書いておきたい。

 某競馬ライターが某騎手を絶讃していた。その騎乗ぶり、仕掛けのタイミング、すべてを熱く語っていた。会ったことのない騎手だ。レースっぷりから騎手として惚れていた。それはそれはもう絶讃していた。
 私はその騎手が大嫌いだった。たしかに騎手としては見るべきものはあったが、初めて登場したころから、どうにも虫の好かないヤツだった。大レースではそいつの乗る馬は真っ先に消していた。私がこいつをいかに嫌いだったかは、古い友人が証明してくれる。筋金入りの大嫌いだ。

 その某ライターが、その某騎手に初めて会って取材することになった。すると某騎手は待ちあわせ時間に遅れてきた上に、ライターが喜んでもらえると思ってセッティングした店に対しても、「なんだこのこ汚い店は!」と暴言を吐いた。つまり、そのライターは、かってにその騎手にイメージを抱き、そんな店が好きにちがいないと思っていたのだ。片想いの思い違いである。
 険悪な雰囲気になり、騎手はインタヴュウも受けずに帰ってしまった。

 その屈辱から、一転してこのライターは、この騎手のアンチとなる。事の顛末を詳細に競馬雑誌に書き、この騎手批判を始める。もともと批判の多い騎手だったが、それはみな雰囲気的なものだったから、劣悪な人間性丸だしのこの事件は批判として出色だった。話題となり、多くの賛同者を得た。

 しかし私は不快だった。こういうのは最低である。マスコミ人として、してはならないことだと私は思う。惚れて同棲していた女に、浮気され別れたからといって、閨房の中の出来事まで曝して悪口を言いたてるようなものだ。
 ずっと嫌いだったのならまだいい。そうではない。大好きだったのだ。絶讃していたのだ。
 惚れたのは自分。裏切られたのも自分。すべて自分の中に治めるべきであろう。裏切られたからと言って悪口を言ったら、惚れていた当時の自分が惨めだ。なぜこの某ライターはそのことが分からないのだろう。

 いや、男と女の場合とはまた違う。この某ライターが某騎手に惚れていたのは片想いなのだ。かってに惚れておいて、理想化しておいて、現実が理想と違ったからと、冷たくされたからといっていきなり悪口ではたまらない。この騎手の肝腎の「騎乗」は、惚れていたころも不快なことがあってからも変っていない。変ったのは某ライターの心象風景だけなのだ。

 だから私は「某騎手を批判する某ライターの文章を批判する文」を書いた。


 その某ライターが競馬を始める前から、その某騎手が大嫌いだった私が、某騎手を擁護する論を書いたわけである。まったく珍妙なことになった。
 とにかく敵の多い騎手だったから、私の文もまた批判の嵐に遭った。「あんな騎手を擁護するとは狂っているのではないか。現場を知らないのではないか」とまで言われた。

 私の場合、騎手などどうでもよかった。言いたいことはそのライターの姿勢だった。「男の生きかた」として、「一度あれだけ誉めたものを、いまさらボロクソにいいなさんな」である。


 そんなわけで、私は吉川さんのように、イヤな目に遭わされた相手を手の中で転がして随筆にする気もないが、かといって、いやな目にあったからといって、そのひとを批判する文章を書いたりもしない。黙って去るだけである。
 そこは強調しておきたい。吉川さんにはなれないが、某ライターのようなこともしない。



 本題に戻って。
 善哉さんは競馬マスコミが好きだったのではない。むしろ興味のなさ、嫌悪は和田さん以上だったろう。「いくら活字になっても馬は走らない」は、善哉さんにとっても真実であり、本音だったはずだ。

 善哉さんは「夢」ということばを嫌い、「欲」ということばを好む。これもこの本で知ったことだ。またそのうち書きたい。おもしろい感覚のひとである。この本は、こういう興味深い感覚が溢れている名著、快著、奇著である。


 その「欲」のために、ある日善哉さんは「こいつらも役立つ」と気づく。
 善哉さんにとって欲とは誰にも負けない強い馬を作ることである。その馬で競馬を勝ちつづけることだ。そのことしか念頭にない。
 ある日、そのために競馬マスコミというのもそれなりに役立つのではないかと気づく。役立つのならそれなりに接してやらねばと態度を改める。それだけのことである。それだけのことでしかない。



 この本の中で、吉川さんは、善哉さんが最初のころは会員誌「サラブレッド」に対して熱心でなかったことに触れている。最初は「あんなものなんの役にたつんだ。経費の無駄だ」ぐらいの感覚であったろう。

 ところがそうではなく、ああいうもので世にアピールし、会員を増やし、シャダイの人気を挙げることが、よりよい馬の購入にもつながり、ひいては強い馬の生産、自分の「欲」の実現に直結しているのだと気づく。そういう時代なのだと。
 それからは会報を大事にし、「このひとたちも仕事なんだから」と競馬マスコミを庇うようにまでなった。最初からそうだったのではなく、気づいて変身したのである。
 
 気づいて変身した善哉さん。最後まで気づかなかった和田さん。



 善哉さんと和田さんの違いは、自分達の「欲」を叶えるための方法論の差であったろう。

 造り酒屋の出である和田さんは、「手作り良品」を作ることにこだわった。そうして作った最高傑作がシンボリルドルフである。自分のところの血統で作った馬に、スパルタ教育を課し、掌中の玉として磨きあげた傑作だ。野平調教師もよく口にしていたが、母の父がルドルフ以前のシンボリ牧場の最高傑作スピードシンボリであることは、和田さんにも誇りだったろう。


 生まれながらの馬喰の子であった善哉さんはもっと大きな視点で見た。よりよい血統を揃え、土壌を改良し、スタッフを充実させてゆけば、強い馬はいくらでも出て来ると考えた。


 我が国競馬史上2頭いる無敗の三冠馬。和田さんのシンボリルドルフ、善哉さんのディープインパクト。(ディープは善哉さんの死後の馬だが、サンデーを購入した善哉さん路線の上にあるのは言うまでもない。)

 スピードシンボリの肌にパーソロンをつけ、スパルタ教育で育てあげたシンボリルドルフ。まさに「精魂込めて創りあげた手作りの逸品」である。失礼ながらパーソロンの現役時の成績なんてひどいものだ。とてもとても無敗の三冠馬の父になる種牡馬ではない。

 対してディープインパクト。アイルランド生まれ、イギリス調教、ドイツのGⅠを買った輸入繁殖牝馬ウインドインハーヘアに、アメリカの二冠馬サンデーサイレンスをつけて生まれた馬。同じような背景の同期生は100頭はいよう。ディープがならなければ他の馬がなっていた。登場すべくして登場した馬だ。善哉さんの「欲」の結晶である。



 ばくろう大好きといった善哉さん。「伯楽」に激怒した和田さん。
 ふたりの違いは、この馬産の方法論にも顕れているように思う。


 


------------------------------


 


論点がぼけたので、まとめます


 書くことがありすぎて、論点が呆けてしまった。言いたいことがずれている。この項で本当に言いたかったことをシンプルにまとめる。
 マスコミを軽視する和田さん、大事にする善哉さん、その心の背景である。


 たしかに和田さんは競馬マスコミを軽視し、評判が悪かった。だがそれはありもしないことを書いて不愉快にさせる「ろくでもない競馬マスコミ」に対してだけではなかったのか。


 一方、善哉さんは、競馬マスコミにも存在価値ありと認めて、それなりの対応をした。でもそれは自分に役立つからと認めただけであって、奥底ではどうでもいいものではなかったか。


 つまり、真の文人というものがいるとして。
 和田さんは、ろくでもない競馬マスコミは嫌いだが、真の文人は、すなおに認め、尊敬したのではないか。和田さんが競馬マスコミを嫌ったのは、それが和田さんの認める文化とあまりに離れていたからではないのか。

 善哉さんは、世間的に高名などんな文学者であろうと、自分の馬産に役立たない人間は、いてもいなくても同じだったのではないか。
 私が言いたいのはここになる。



 社台の隆盛を嫉妬する日高の生産者から「しゃだいこ」と呼ばれるほど社台に密着し、あの善哉さんの運転するベンツの助手席に乗って1対1の会話をしつつ、吉川さんが常にいらだっていたのはそれだったのではないか。
「表面はにこやかだが、このひとはおれの存在など認めていない」という。


 男と女で言うなら、「家事全般に優秀なパートナーとして、不可欠な存在と認められてはいるが、女としては愛されていない」ようなものである。
 文人として、吉川さんは、善哉さんに、女として愛されたかった。ドキドキされる存在になりたかった。唯一無二の愛の対象になりたかった。だが馬産しか頭にない善哉さんにとって、吉川さんは路傍の風景以上にはならなかった。



 テーマが散ってしまったが、和田さんと善哉さんの違いで、私が言いたかったのはそれになる。つまり、一見悪役の和田さんだけれど、藝術を愛する、いわゆる「純粋な少年の心」は、むしろ和田さんの方にあったのではないかと。


 書ききれない。すぐにパート4を書かないと。

関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

moneslife

Author:moneslife
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。