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「血と知と地」から学ぶこと①──感覚の相違

 ひさしぶりに吉川良さんの「血と知と地──吉田善哉物語」を読んだ。深い意味はない。自作PCを夏モードにしていたら、フルタワーケースの底部でHDDの台に使っていたのが出て来たからだ。ぶ厚い本なののでちょうどいいのだった。


 ひどいことをしている。でもこれは吉川さんにいただいたのではなく、私が自分で購入した本。世の中には贈呈してもらったサイン入り本を読まずにそのまま古本屋に引き取らせて話題になるエガワスグルみたいなひともいるから、それよりはまとも。
 
 いつ読んでもおもしろい。それは吉川さんの筆の冴えもあるが、善哉さんというひとがまともではないのだ。異常感覚。よくもわるくも。それが根源である。
 また思い出すたびにこの本の印象を書いてゆこうと思う。ほんと、バイブルである。今日は初歩的なことをまずひとつだけ。



 社台ファーム事務所に出版社の部長と部下が来る。善哉さんに話し掛ける。吉川さんはその横にいる。
 部長は雑誌で読んだ知識をもとに、善哉さんとシンボリの和田さんを「ライヴァル」という形で話し掛ける。それに善哉さんが乗ってこない。というか拒む。部長は「雑誌で読んだのに」と気色ばむ。善哉さんは「雑誌だからそうしゃべった」と応える。部長はますます鼻白む。


 といって、これは巷間伝えられるように善哉さんと和田さんが犬猿の仲とか、そういうことではない。かといって部長氏の言うようなライヴァルでは決してないのだ。
 あいだにはいった吉川さんが、「要するに吉田さんも和田さんもわがままなひとなんです」とまとめようとするが、部長氏は釈然としない。
 という話である。



 この話を読んで身につまされるのは、この部長氏の感覚が、競馬物書きになる前の自分と同じだからである。部長氏も当時の私も悪くない。みなそういうものだ。
 吉田さんと和田さん、一歳違いの有名牧場の牧場主。名馬を数々送りだしている。ライヴァルにして友人。互いに切磋琢磨して成績をあげてきた。周囲はそう考えがちだ。それは「そう考えるのがわかりやすいから」である。企業人からサラリーマン、スポーツ選手、世の中にはそんな関係が多いのかも知れない。
 しかし競馬業界というのはちがう。そういうものではない。


 ここで善哉さんが部長に言い、部長がわからないので適当にごまかしてしまうのは、それぞれが「点」ということだ。善哉さんにすれば競馬という大海を点として突きすすんでいるのであり、ライヴァルとは、道路の上を並んで走るランナーの感覚だ。他者から見れば、ダービーとか天皇賞とか、そういうゴールに向かって同じ道を抜きつ抜かれつ走っているように見えるのだろうが、生産者にはそんな感覚はない。
 この善哉さんと部長氏の感覚の差がおもしろかった。



 たとえばダービーで、Aという馬とBという馬がマッチレースのような叩きあいを演じた名勝負があるとする。同時にゴールしたが勝ったのはA、Bは2着。
 それは観戦者の私達には心に残るダービーであり、AもBもよくやった、になる。馬場では、負けたBがAを祝福しているかのように見えた。Aも、おまえも強かったなあとBに語り掛けているように見えた。いつまでも忘れない名勝負……。



 この感覚がいちばん強いのが御存知スズキヨシコさんだ。ダービー最下位18着馬を「最下位に負けましたけど、日本で生まれた同期のサラブレッドの中で18番目に強いと言うことですからね」とかなんとか言って失笑されたことがある。スズキさんとしては思いっ切りかっこいいことを言ったつもりだったろう。いや違うか。心の中のロマンが思わず言わせたひとことか(笑)。
 スズキさんの「なにがかっこいいか」は烈しく私とズレているのだが、それはともかく。



 競馬ファンはそうなりがちだ。ダービーというレースがいとしく、そこに出たすべての馬がいとしく、そしてそれは誰もが同じと思いこんでいる。
 だからBの牧場に取材に行って、「すばらしい名勝負でしたね。Aも強かった、Bも強かった。心に残ります」なんて語ったりする。だけどBの生産者からすればAがいたためにすべての幸福を奪いとられたのである。Aなんてのは名前も聞きたくない馬だ。よくもおれの牧場に来てAが強かっただの名勝負だのと寝惚けたことが言えるな、と思っている。しかしそのことに気づかないファンは、あいかわらず「いやあ、いい勝負だった」などと言っている。そのファン、すなわち私である。


 というのが牧場取材を始めたころの私の失敗談。競馬ファンの心情を牧場に持ちこんでいた。いま思い出しても冷や汗が出る。でもしょうがない。恥を掻いて憶えるまではわからない感覚だ。



 この部長氏も自身の競馬観で善哉さんや和田さんを解釈しようとしている。ファンの考える競馬と生産者の考える競馬がまったく違うことに気づかない。でも気づかないのはしかたない。だってぜんぜん違うのだから。

 だがこのひと、かなりの厚顔で、善哉さんにビシっと言われてもまだ気づかず、自分の感覚が正しいとばかりにしつこく食いさがっている。これは私にはわからない。これだけ言われたらふつうは気づく。たぶん部長という社会的地位がこのひとをすなおにさせなかったのだろう。



 しかしまあ吉田善哉さんというひとの語ることはおもしろい。かといっていくらおもしろくても、ふつうのひとには書けない世界だ。これは吉川さんだから出来た仕事になる。
 吉川さんにはMの気があり、つらいことがあっても、それに快感を感じたりするのだ。だからこそ出来た仕事だ。その辺の裏事情は御本人から詳しく聞いている。



 価値ある本である。これ以上のものはもう出ないように思う。まずこれ以上の「素材」がない。社台の兄弟、岡田繁幸さんがいるが、時代背景を考えたら、善哉さんにはかなわない。
 それにこれは気紛れ善哉さんのSと、引っ付き虫吉川さんのMが産みだした奇蹟のコラボだ。岡田さんにくっついて一代記のようなことを書いているライターもいるようだが、どう考えてもこれほどおもしろいものに仕上がるとは思えない。


 社台の兄弟はもうあらゆるGⅠを勝ちまくってしまっている。善哉さんのような苦闘の時代がない。あるけれどそれは父とかぶさっているから、この本のような味わいはもたない。かなわない。

 岡田さんはまだクラシックを勝っていないし、いくらでも話は続くが、ラフィアンという組織で、裕福に成りすぎている。物語というのは、デビュー戦四畳半一間が、ダービー勝って大邸宅がおもしろい。岡田さんはダービーは勝ってないがもう大邸宅だ。どうも盛りあがりに欠ける。やっぱりこれが嚆矢だろう。これ以上のノンフィクション競馬本は有りえない。


 文庫本になっていると知る。単行本はおおきくて重いので、一冊買っておくか。

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