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フジキセキの日──日本発サンデーサイレンス系

先週、高松宮記念の日は、フジキセキの日だった。


ドバイ・シーマ・クラシック(首G1、芝2400m)をミナミアフリカのフジキセキ産駒・Sun Classique(牝4)が勝ち、高松宮記念はフジキセキ産駒のワンツーだった。


高松宮記念はサンデー産駒が絶対的に強い。今回も孫のワンツーで3着が息子だった。


万能のサンデー産駒も短距離とダートは苦手だ、というのが、つい昨日のことのように思える。


むしろビリーブあたりから競馬を始めた若者は、「サンデーは短距離」だったりして。


高松宮記念の翌日、スポーツ紙を読んでいて次の表記におどろいた。


種牡馬年数で父を超えているフジキセキだが……


4歳(いまだと3歳)春、三月に引退して、その年の春から種付けを始めたフジキセキが、サンデーの種牡馬年数を超えたということは、サンデーが死んでからそれだけ時間が経ったってことか。これまた亡くなったのをつい昨日のことのように覚えているので……。


今後のためにも書いて覚えておこう。サンデーサイレンスの命日。


2002年8月19日──16歳


もう亡くなって6年になるのか。だったら3歳から種牡馬になったフジキセキは父より長くなる。


こんな偉大な種牡馬はもう出ない。


フジキセキの朝日杯3歳ステークスがサンデー産駒最初のGⅠ制覇だった。ファーストクロップである。
でもやはり同い年でクラシックを勝ったジェニュインやタヤシツヨシのほうが印象深い。タヤスツヨシは一緒に走り負かしているのだが。


馬券生活者・梶山徹夫さんが、日曜昼の上岡龍太郎の番組に出て、ダービーの馬連(当時は馬連までしかなかった)ジェニュイン・タヤシツヨシを百万円一本勝負をしたのがこの年だった。

これは上岡が「そんなもんあるかいな」と、世のあれこれにケチをつける番組で、そのひとつとして「馬券で食っている? そんなもんいるかい」が取り上げられたのだった。
馬券生活者を嘲笑した上岡に憤慨し、テレビカメラの前で百万束を放り投げて見せたのだから、あのころの梶山さんも若かった(笑)。5.9倍、的中。


ダンスインザダークが菊花賞を勝ち、早々とサイアーとして三冠を達成したサンデーだが、三冠馬を出すまでは長かった。

ディープ三冠達成のとき、私が真っ先に想ったのは「よかったね、サンデー」だった。


私の書く競馬文章には「偉大な種牡馬サンデーサイレンスが唯一達成していない三冠馬の父という称号」のような言いかたがよく登場し、そのことにあまり興味のない編輯者からは奇妙がられた。
私はブライアンズタイムが実現している「三冠馬の父」にサンデーがなっていないことが不満だった。すべての三冠馬の父がサンデーより劣る。なんとしてもサンデーに三冠馬の父になって欲しかった。だから私のディープに対する第一印象は「親孝行息子」なのである。



フジキセキは弥生賞を勝って4戦4勝。脚を痛めてそのまま引退した。
馬格から長距離はどうかと思われたが、後に角田に尋くと問題ないと一笑にふしていた。とにかくたいへんな怪物だったそうだ。あんな馬には出会ったことがないと。このことを角田に尋いたのはジャングルポケットの取材のとき。そのあと彼はダービージョッキーになる。


無敗馬は夢が広がる。
フジキセキとアグネスタキオンがあのまま走っていたらどうだったろう。
私はアグネスタキオンには母系からくる距離の限界があったように思うのだが……。
それとも2頭がディープより先に「無敗の三冠馬」になっていたのか。



日本発の初めての「サンデーサイレンス系」という血統が世界に広がりそうだ。
これは競馬ファンの夢である。
デルタブルースもオーストラリアで血を拡げるといい。メルボルンカップを勝った馬だ。大切にされるだろう。


南アフリカの競馬場で出馬表を手にすると、父親の欄にFujikisekiとあるのだ。想うだけでいい気分になる。

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