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馬券以前のこだわり──験担ぎの感覚②

 スーパーで買い物をする。ざっと暗算して2000円弱と読む。1800円ぐらい。しかしレジで2050円と言われる。オーバーしたかと2100円を出す。50円おつりをもらう。
 袋詰めのとき、何気なくレシートを見る。1850円とある。私の暗算のほうが正しかった。200円損した。初体験である。こんなこともあるのか!? もうレジを離れているから文句は言えない。レジ係に「わたしは250円おつりをわたした」と主張されたら終りだ。あきらめる。この辺は馬券売り場においてさんざん経験しているので慣れている。現場を離れたらもう抗議は出来ない。


 このレジに並ぶとき、いやな予感はあった。二十代前半のいかにもアルバイトという青年。しかももっさりした鈍そうなヤツなのだ。いつもの神業のように素早い作業をするヴェテランおばちゃんのところに並ぶべきかと迷った。いま思えば、おばちゃんのところに何人も並んでいて、そいつのところにすこししかいなかったのは偶然ではあるまい。みなわかっていて避けているのだ。たぶんそいつがひとりこなすあいだに、おばちゃんは三人ぐらいこなすのだろう。



 言いたいのは小銭を損した話ではない。このことの悪影響だ。月曜火曜ならまだいい。だが金曜日の夕方だったりすると、「だめだあ~」と絶望する。こんなついてないことに遭遇するのでは明日の馬券など当たるはずがないと思ってしまう。


 なんといってもまず、そのことにより予想に力が入らないのがいたい。あんなついてないことに出逢うのだから馬券など当たるはずがないと予想に集中できない。


 馬券の楽しみとは何だろう。いちばんは的中しての大金払い戻しだが、これは的中したときしか味わえない。その点、「もしもこの予想が当たると、これだけの払い戻しがあって」とほくそ笑むことは毎回可能だ。とくに今は3連単があるから、「これとこれだと200倍だけど、これにこれが来たりしたら4千倍だ」と都合のいい夢を見られる。この幸福感(笑)。自分で予想すること、的中したときの喜びを想像すること、それが馬券の最大の楽しみになる。


 私が宝くじを買わないのはこのリクツによる。あれにはこの予想の楽しみがない。あるのはせめて「よく的中者が出る売り場で買うこと」ぐらいだ。それと比すと馬券の予想行為はずっと複雑で楽しい。
 もしも宝くじで1億円当たったらびびる。怖くていられない。人生の運を使い果たしてしまったと。ここで「怖くていられないけどそれでも当たりたい」と書いたほうが文章としてはおもしろくなるのだが、いやほんと、宝くじには当たりたくない。運は定量だと考えている。そんなことに使いたくない。

 馬券は1億円払い戻しを受けてもまったく平気である。それは予想行為に努力してきた私に対する正当な報酬でしかない。まあそれ以前に預けていたものを返してもらっただけだから気楽である。これは切実に返して欲しいと思っている。



 避けていた験担ぎも、的中したら逆になる。
 うすのろ店員にレジでよけいに金を取られた翌日、百万馬券でも当てたなら、翌週からはそのうすのろを探すことになる。彼のレジに並び、なんとかまたまちがって金を餘分に取ってくれないかと願うようになる。験担ぎなんてそんなものだ。


 てなことを考えつつ、200円餘分にとられた悔しさを紛らわす春の夜。

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