競馬専門紙考──国鉄ストライキの時代


●競馬新聞の我が世の春


 昭和50年、カブラヤオーがダービーを勝つ年、「ダービーニュース」が毎年恒例の「ダービー特集号」を出した。300円。
 看板予想家の伊藤友康さんが「誰かに一票を入れろと言われたらカブラヤオーに入れるぐらいのカブラヤオーファンだ」との出だしから(総選挙が近かったのだろう)カブラヤオーのラップ分析をし、その強さを強調していた。伊藤さんは当時としては劃期的なこのラップ分析で世に出てきた人だった。


 専門紙がモノクロだった時代、カラー写真を使った紙質のよい、当時としては豪華なものだったが、タブロイド判8ページで300円、今の物価に直せば安く換算しても千円以上する高級品だった。中身も見た目も、いまダービーや有馬記念まえに「エイト」が無料で配るあれと変りはない。それでもお祭りまえの興奮に無理をして買ったものだった。いつも行く「札幌ラーメン」が150円だった。ハイライトが80円だったか。
 当時専門紙は「札を刷っているようなもの」と言われるほど儲かっていた。
 そんな時代もあった。


 と書くとへそ曲がりから、「儲かっていたのは経営者だけで、記者は苦しかったのではないか」と言われそうだ。たしかに笑いが止まらないほど儲けたのは経営者である。だが記者諸兄も、社会的地位が低かった分、仕事は楽でいいかげんだったと当人達から聞いている。


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 世の中、時の流れとともになんでもわるくなっていると思いがちだが、そうではないものもある。時とともに是正されたものも数多い。
 私が真っ先に思い出すのは「国鉄のスト」だ。ひどい話である。てめーらの賃上げ闘争で毎年何度も電車を止めていたのだ。どれほど多くの人が迷惑を受けたことか。
 社会主義という魔物が幅を利かせていた時代。日本は「二大政党制」だった。自民党と社会党という。私にはどうしても「二大政党制」が日本に適しているとは思えない。

 前日から会社に泊まり込む人、暗い内から歩いて通勤する人、新聞テレビは連日、「いよいよスト決行か!?」と報道する。それは諦観から生まれた一種の風物詩だった。もちろん私鉄もやったが、過激な国鉄と比べると、おとなしかったし、すぐに解決した。中曽根首相は国鉄の民営化だけで歴史に名を残す。
 国鉄のストももう知らない人が増えて来た。改札の駅員がカチカチカチカチと鋏を鳴らしていたっけ。


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「ホースニュース馬」のあと、私は『東スポ』から独立した「レースポ」を愛用していた。やがてレースポは専門紙業界から撤退し、『東スポ』の中に収納される。
 いま『東スポ』120円の中にある競馬欄は、紙質が違うだけで、昭和50年代後半、私が300円で買っていた専門紙「レースポ」そのままである。「『東スポ』の競馬欄は充実している」と言われるが、そりゃそうである、専門紙が丸々入っているのだ。「情報量」だけで見たら、いかに今のスポーツ紙が充実していることか。

 当時のスポーツ紙はメインレースしか馬柱がなかった。それもお粗末なものだった。まともなものを見ようと思ったら専門紙を買うしかなかった。
 専門紙を苦況に追い込んだのがスポーツ紙の競馬欄充実であることはまちがいない。そしてそのスポーツ紙の競馬欄充実は競馬ブームから生まれた。
 400円の専門紙(地方は500円)を買うなら、100円4点買いで3連単を買った方がよい、はごく素直な発想だろう。


 と、考えてゆくと、専門紙というのは、競馬がまだ薄闇に覆われていた時代、その「薄闇」を利用して好き放題うまい汁を吸っていたが、全面陽光にさらされるようになると、急に身動きが取れず縮こまってしまったような、ともとれる。


 情でさびしいと感じるが、理で当然と思うのはそういうことなのだろう。

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