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1995年──タヤスツヨシとジェニュインのダービー

 以下も梶山さんのブログに書きこんだもの。若い読者が多く、梶山さんのむかしを知らないようなのですこしでしゃばった。短い拙文だがブログの投稿は500字以内なのでオーバーしてしまい何度か書き直している。



司会の上岡龍太郎が嘲笑しつつ言った。

「馬券で喰えるはずがない。喰っているヤツなどいるはずがない」と。

馬券生活者は屈辱に唇を噛んだ。

翌週、馬券生活者は上岡の面前に百万のズクを抛り投げた。

これで一点勝負だと。公開放送だった。場内がどよめく。

馬券で食っている男の意地だった。

上岡がびびる。こんなことをするヤツがいるはずがないと。

そしてまた上岡は確信する。こんな馬券が当たるはずがない、と。

1995年5月28日、第62回日本ダービー。

勝負は馬番連勝馬券。1991年から導入されたそれまでの枠連とは違い馬同士を指定するシビアな馬券だ。タヤスツヨシとジェニュイン。13-14一点勝負!

1着タヤスツヨシ、2着ジェニュイン。馬連590円。

その夜、男は札束の重みより、自分の信念に乾杯した。

間もなく上岡はテレビ業界から身を引いた。

強運の藝人上岡を完膚無きまでに打ち負かしたのは、彼が侮蔑しつつ後に虜となったマラソンと、この馬券生活者だけだろう。

フジテレビで全国放映された映像である。



たしかこの番組は土曜の昼からだったように思う。前回の出演のとき上岡に揶揄された梶山さんは、このダービー前日の出演のとき、百万束を抛り投げたのだ。かっこよかった。

私はこのころ一年の半分近くを海外旅行に費やしていた。それでも絶対に日本にいるように心懸けていたのが皐月賞からダービーの春と秋天、JCの秋になる。競馬を始めてからずっと一番好きなレースだった有馬記念は、トウカイテイオーとライスシャワーが負け、メジロパーマーが逃げきった年(1992年)に、腰が抜けるほどの大敗をし、愛想を尽かし、以後はもう航空券が年末正月値段で倍になる12月20日前にさっさと購入し渡航するようになっていた。これはなにをしても悪い目に出る私にしてはよい決断だった。「有馬記念で倍にして、航空券が安くなる1月中旬以降に出かけよう」としていたなら、毎年有馬記念でスって出かけられなかったはずだ。まあそれをあのメジロパーマーの逃げきる有馬記念で学んだのだが。

大レースのない夏と冬は海外にいた。春先もこのダービーのあとすぐに海外に出てしまったので後日談を知らない。テレビを見ていない。このあと梶山さんがテレビに出て、どんなもんだとなり、上岡がおそれいりました、と頭を下げるような場面はあったのだろうか。梶山さんからも後日譚を聞いていない。どなたか知っていたら教えてください。梶山さんはあまりこの話をしたがらない。大勝負をして勝った会心のレースというよりむしろ、上岡の無礼に腹立ったあまり楽しくない思い出なのだろう。



サンデーサイレンス初年度産駒の年である。いきなり牡馬が二冠、牝馬がオークス(ダンスパートナー)を制した。このときのイメージが強く、「サンデーサイレンス産駒、初のG1馬ジェニュイン」と書いて直されたことがある。クラシックはジェニュインでまちがいないのだが、G1で言うなら前年のフジキセキの朝日杯が最初なのだった。

たった14年前なのだが、ずいぶんとむかしに思える。
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