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スリーロールス菊花賞優勝餘談──カントリー牧場のこと

 あのころ日高中を走りまわった。

中でも静内の牧場はほとんど訪問している。かつての活躍馬に対面したり、その母や兄弟、近親馬に会えるのがうれしくてならなかった。

武牧場の近くにカントリー牧場があった。昭和43年のダービー馬タニノハローモア、45年の皐月賞、ダービー馬タニノムーティエ、48年の天皇賞・秋、49年の有馬記念馬タニノチカラを輩出した名門である。なんといってもスパルタ教育で有名だった。タニノムーティエのダービーまでの戦歴など信じがたいローテーションである。

この中で私が最も馴染んでいるのはタニノチカラだった。昭和48年の有馬記念で、前を行くハイセイコーを意識し、ハイセイコーもまた後ろのタニノチカラを意識し、前を行くストロングエイト、ニットウチドリによる万馬券を演出してしまった馬である。あの有馬記念はまさに「動けない名勝負」とでも呼べるものだった。その分、翌年はとんでもない強さの逃げ切り勝ちをしている。前年もそれをしていたら連覇だったろう。強い馬だった。



当時タニノチカラは急逝していなかった。タニノムーティエはまだ生きていたが、すでに種牡馬としての結果は出ていた。私はカントリー牧場の敷居が高くて訪問できなかった。それは、若いファンには笑われるだろうが「東西の感覚」だった。南関東で活躍した馬の生産牧場が身近であるとするなら、活躍馬がみな関西馬であるカントリー牧場は私には異国だった。京都大阪に出かけたときと同じ尻の据わりの悪い感覚があった。カントリー牧場の馬はみな関西弁を話すような気がした。

ここでまたたとえG2でも近年の勝ち馬がいたら、それをきっかけに突撃したのだが、そのころのカントリー牧場は、かつての栄光が煌めく分、まさに落魄の英雄の住処のようだった。ひっそりと過去の栄光を守っているかのようにすら見えた。



それから18年後、3頭目のダービー馬となるタニノギムレットが誕生し、さらにはその娘ウオッカが64年ぶりの牝馬優勝を成し遂げ4頭目のダービー馬になるなど夢にも思わなかった。「あのとき訪問しておけばよかった」と悔やむ牧場の一番手である。今ごろはきっと「ひっそりと」ではなく、最も活気ある牧場としてぴかぴかに光っているのであろう。

とはいえ「あることすら知らなかった」「どこにあるか知らなかった」ではなく、「行きたいなあ、タニノムーティエを見てみたいなあ」「でもなあ、なんて挨拶しようかなあ」と、それこそ何年ものあいだ何百回も牧場の前の道路を走りつつ、「カントリー牧場」という看板を見ながら考えたことだから、これはこれで充分な思い出だとも思っている。
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