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馬名──エアラギオールとアルナスラインとキリマンジャロ

エアラギオールはラッキールーラの吉原家の馬で今の冠号は「エア」。だから「エア・ラギオール」だが、さすがにこの並びだと、「エアラギ・オール」と発声するアナもいる。日本語としてそのほうが自然だ。

かといって「エア・ラギオール」と言えと言いたいのではない。



アフリカの名峰キリマンジャロを略して「キリマン」と言ったりする。コーヒー豆とか。
でも正しくは、あれは「キリマ・ンジャロ」であるから、「エノケン」「バンツマ」的日本語省略語の原則としては「キリ・ンジャ」のほうが正しい。
それが筋の通った話だが、といってそんな言われかたも困る。 だからキリマンでいい。



これで思い出すのはアルナスライン。
正しくは「アル・ナスライン」だが、日本語的には「アルナス・ライン」になる。
これを「おれは正しく知っているんだぞ」とばかりに、奇妙に「アル」で切って「アル・ナスライン」を強調しているアナがいた。べつに「アルナス・ライン」でかまわないと感じた。 だからまあ「エアラギ・オール」でいいのだ。
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アネモネステークス快勝!──馬名パララサルーの意味──西?

アネモネステークスを1番人気のパララサルーが快勝した。2、3着に人気薄で3連単は100万馬券。
馬主の㈱G1レーシングは新たな社台系の組織だ。社台RH、サンデーTC、キャロットに続き、また活躍馬が連続するのか。シルクも社台と全面提携した。レッドが冠号の東京ホースレーシング(むかしのユーワ)も、ほとんどが社台の馬だし、ほんとにもう日本の競馬は「社台の運動会」なんだな。



以前、この馬の馬名の意味を検索したとき、 最初に出てきたものに《馬名の意味由来は「健康の為に(西)」》とあり、しばし最後の「西」で悩んでしまった。 競馬ラボというところの記事だ。

しばらく考えて「スペイン語のことか」と思いつく。たしかにスペインは西班牙という当て字をしていた時代があり、アメリカを「米」とするように「西」とすることはある。ドイツの「独」、イギリスの「英」、オーストラリアの「豪」とか。
しかしここでそれをする必要はあるのだろうか。

この種の略語が使われるのは字数に厳しい制限のある新聞の短い記事だ。1文字ですら省略したい場合。ネット記事にそれはない。むしろネット記事は字数に制限がないため冗長になることが多い。この記事も騎手の感想をたっぷり載せた文になっている。そこでスペイン語をあえて「西」に縮め、読者を混乱させることに意味はあるのだろうか。

さらに調べて、《Para la Salud スペイン語で「健康のために」の意。》という正しく親切な説明を得たので、この「西」がスペイン語の意味であることを確認できたが、いまだに私は《
「健康の為に(西)」》と書くひとのセンスがわからない。

プリンシパルステークス的中記──ムーンライトミストのお蔭──カントリー牧場

過日、神戸の18歳年下の友人Sがこんなメールをくれた。

《今日はオールザットジャズの単勝を1,000円とりました。安くても狙っていた馬だったので嬉しかったです。同じく今日勝ち上がったシュプリームギフトも追いかけている馬です。そしてもう一頭僕の三歳の秘密兵器(?)は、先日阪神で勝ったムーンリットレイクです。名前がめちゃめちゃかっこよくないですか?次走どこに出てくるか楽しみにしています。》

私はそれに次のような返事を書いた。

《昨年亡くなった馬主の伊達秀和さんは、アローエクスプレス、ファンタスト(夢見るひと)、ブロケード(金襴緞子)等のおしゃれな馬名で有名な人だった。当時は今よりも冠馬名全盛だったからよけいに伊達さんの馬名センスは光っていた。昭和50年の持ち馬にムーンライトミスト(父セダン)というのがいて名前のかっこよさから話題になっていた。後に伊達さんは『優駿』の取材で、「冬毛がぼわーっと伸びていて、月夜の霧に煙っているような雰囲気の馬だったのでつけた」と命名の由来を明かしてくれた。つまりかっこいいからつけた名前ではなく、かっこわるい馬に、かっこいい名前をつけてやったわけだ。その愛情が伝わって、ムーンライトミストはますます人気が出た(笑)。
かっこいい名前はいつでも競馬ファンのロマンだよね。ぼくがダビスタに凝ったのも、自分流の馬名がつけられることが大きかった。》

Sがムーンリットレイクという馬名に惚れたということから、似ているムーンライトミストのことを思い出したのだった。Sは私が「亀造競馬劇場」というのを競馬雑誌に連載しているころにメールをくれて知りあった。以来十数年親しくつき合っている。

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プリンシパルステークスにムーンリットレイクが出て来た。すぐにこれがSの言っていた馬かと気づいた。
私は新馬戦も見ていないし、なじみのない馬だった。
ディープインパクト産駒。調べてみるとアイルランド生まれの母Moonlight Danceから兄姉はみなムーンライトを継いでいるようだ。1970年代の日本馬であるムーンライトミストとはなんの関係もない。

内枠のいいところを引き鞍上が内田に代わった。Sが教えてくれた馬だ。これも縁なのだろうと迷わず本命にする。


むかし山野浩一さんの文に「日本人は無敗馬が好きなので」とあった。そのことを主張する文ではなく名馬を語る文章の中にさりげなく「ごくあたりまえ」のように書いてあったのでよけいに心に残った。無敗にこだわるのは日本人特有なのだろうか。

そういわれると私は無敗馬が好きで、たとえば史上最強の1頭と思うセクレタリアトなんかも三冠馬としての強さを思うほどにデビュウ戦の4着が惜しいよなあといつも思ってしまう。その後の負けはともかくクラシックまでは無敗で行って欲しかった。いまも全勝の東西の代表が皐月賞でぶつかる形が理想と思っている。前記ムーンライトミストの年は東のトウショウボーイ、西のテンポイントが無敗同士で皐月賞で初対戦した。

より正確に言うと、東の代表は4戦全勝で朝日杯を制したボールドシンボリだった。西は5戦全勝で阪神3歳Sを制したテンポイント。これが東西の代表だった。だがボールドシンボリは関西代表テンポイントとの対決前に弥生賞で関東のB級馬クライムカイザーに敗れて2着になってしまう。クライムカイザーごときに敗れてしまうのではボールドシンボリはたいしたことないとなる。
一方テンポイントは東上初戦のスプリングステークスを勝って6連勝。こりゃ今年は関西馬のテンポイントに全部やられると東は落胆、西は沸きたつ。なにしろ前年のクラシックは牡馬はカブラヤオー二冠、出られなかった菊花賞はコクサイプリンス、牝馬はテスコガビー二冠と東が独占していた。悔しい関西では「嗚呼テンポイントに夢乗せて」というレコードまで出して燃えあがっていた。

そこで関東の期待は遅れてきた大物のトウショウボーイに向けられる。今でこそよくある話だが当時年明けてからのデビューは異常に遅かった。まして勝ち鞍にはダートがある。その派手な勝ちっぷりと飛ぶ鳥を落とす勢いだった種牡馬テスコボーイの子ということから人気を集めたが、トウショウボーイ人気は関西馬に負けたくないという関東のファンの切ない期待が作りあげたようなものだった。結果、期待以上の大物だったわけだが。
ボールドシンボリに土をつけた時にはさほど注目されなかったクライムカイザーはこのあとダービーで大仕事を成し遂げる。


話戻って。
全勝のゼニヤッタで沸いたように欧米人も無敗馬が好きなのだろうとは思う。でも二度目三度目の結婚でやっと本物の相手と出会えると考えるように、あちらは失敗や傷に対して日本より寛容なのかも知れない。まあ日本も今、そんな国になってしまったけれど。
無敗馬好きというのは処女崇拝に通じるのか。そういえばイギリスの娼婦の書いた本に、日本人の客ほど白い下着を好むのはいないというのがあった。これも日本人独特らしい。それに対して日本のジェンダーフリー論者のおばさんが、それは男の幼稚性だと攻撃していたっけ。でもまあ私も赤や黒の下着には昂奮しないけど。とまあいろんなところに話は飛ぶが(笑)。


プリンシパルステークスや青葉賞は、皐月賞で大敗した手垢の着いた馬よりも「新星」に期待したい。昨年青葉賞を無敗で、しかも好タイムで勝ったペルーサのような存在が望ましい。本番のダービーでももちろん私の本命はペルーサだった。全勝だがダートしか走ったことがなく追加登録料を払って参戦してきたサクセスブロッケンを本命にしたこともあった。

無敗馬好きとしてはムーンリットレイクやダートで2戦2勝のムスカテールのような馬に勝って欲しい。
ムスカテールの新馬勝ちダート戦は2着馬があのトレンドハンターだ。トレンドハンターはこの負けがなければ全勝で桜花賞に挑んでいた。彼女を負かした馬だ。この価値は大きい。サンデー肌にマヤノトップガン。馬主は勝己さんだから文句なし。
鞍上はピンナ。初来日のイタリアのリーディング3位騎手。1位がリスポリ、2位が今年南関東で活躍したデムーロ弟。デムーロ弟は最高だ。早く中央でも活躍して欲しい。よってピンナへの期待も大だ。
無敗馬同士のこれが本線。

前記2頭が本命対抗ならそれに劣らず力の入る単穴はターゲットマシン。2戦全勝で弥生賞に挑んだ。大敗。私は太く買って散った。いたかった。まだ傷が疼いている。弥生賞は2番人気大敗だが皐月賞に出ていないのがいい。ここで復活してダービーに向かうか。トーセンレーヴに次ぐ2番人気。

一番好きな馬はステラロッサだが大外18番枠と騎手がころころ代わるのがイヤだ。今回は目をつむって軽視。3着候補まで。
代わって重視は後藤が乗る内枠のカフナ。池江厩舎2頭出しはトーセンがこけてこっちが来るのではないか。ところで、この馬でクラシック初出場だった丸山は降ろされたのか?
トーセンレーヴの青葉賞からの連闘は、これだけの名血馬、高額馬だから、ダービー出走権を確保しないと馬主に対して顔が立たないというような厩舎筋の無理が見える。いやもしかしたら馬主からの無理筋なのかもしれないが。1着か着外か、無視は出来ないにしても本命にする気にはなれない。


ムーンリットレイク本命の馬単が当たった。しかし2着であるから自慢は出来ない。しかも勝ったのは軽視したトーセンレーヴだ。断然人気と鞍上ウィリアムズだから抑えたけど、これまた人に言えるような結果ではない。
3連単は買わなかった。それをばらばらと買うよりも今回は馬単で行ってみようと絞ってみた。それが唯一の幸運。意識した5頭で3連単410倍なのだが、買ったら外れていた。いつもの3連単フォーメーション3-3-7に、この組合せは入れられなかった。トーセンレーヴ1着固定相手4頭の流しなら的中だが、たぶんこれは買わなかったろう。薄氷の勝利。

表ではなく裏の的中であり、本線ではなく押さえなのに、断然の1番人気と組んで50倍もつき軽々とプラスになるのだから馬単てすごいなとあらためて思ってしまう。枠連しかなかった時代を未だに引きずっている。と言いつつまた明日から高配当を狙って3連単バラ買いが始まるのだが。

principal2011





Sはどうだったろうとメールを書いた。先程返事が来た。
ムーンリットレイク本命でいったが、単複から入り、トーセンレーヴ1着固定の3連単フォーメーションの2着にムーンリットレイクを入れずにハズレ。複勝と馬単が的中してプラスにはなったが微々たる戦果だったとのこと。Sは「トーセンレーヴ1着、ムーンリットレイク2着というイメージが湧かなかった」と書いていた。

同感だ。私もそうだった。1戦1勝のムーンリットレイクが勝つなら連闘のトーセンレーヴは惨敗。それこそ秋まで休養のような結果。トーセンレーヴ圧勝なら、ムーンリットレイクは二桁着順惨敗のイメージだった。
ムーンリットレイクが抜けだし、勝利間近と思われたところにトーセンレーヴが差してくるというレースシーンは考えられなかった。その意味ではとりあえず馬券的には私もSも浮きはしたが負けのようなものだ。よくある言いかたをするなら「馬券に勝って競馬に負けた」。大威張りできる競馬の勝利はイメージ通りでなければならない。


ともあれ的中できたのはムーンリットレイクのことを書いてくれたSのお蔭であり、そのことにムーンライトミストのことを書いて返信した私自身のお蔭?であると言いたいのだが、じつのところ本当の「お蔭」は内田だった。Sがメールをくれ、返信でムーンライトミストのことを書き、ムーンリットレイクを強く意識したとしても、私はムーンリットレイクの鞍上が前走と同じだったら本命にはしなかった。長々と書いたが、ただそれだけの話でもある。

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【附記】──昭和51年のダービー──冠号タニノの思い出

検索したら運よくnet-keibaに昭和51年のダービー結果があった。感謝。
〝闘将〟加賀の執念のダービー制覇。トウショウボーイの油断負け。それはもう後のクライムカイザーとの対戦成績を見ればわかる。ここで負ける馬ではなかった。でもそれが競馬。西の期待テンポイントは7着。生涯唯一掲示板を外したレース。ムーンライトミストはテンポイントに先着して5着に来ている。

s51Derby

10着にタニノレオがいる。ウオッカの馬主谷水さんの馬だ。
カントリー牧場を開いてオーナーブリーダーとなった谷水家の最初のクラシック馬が昭和43年の皐月賞馬マーチス。ただしこれは売った馬だから生産者としてのみの栄誉。でも同じその年にタニノハローモアでダービーを勝ち、早くもオーナーブリーダーとしての栄誉をものにする。昭和45年にタニノムーティエで皐月賞、ダービーを制し、48年にもタニノムーティエの弟タニノチカラで天皇賞、49年に有馬記念を制した谷水さんは眩いばかりの光に包まれていた。このあと平成14年のタニノギムレッでの三度目のダービー制覇まで長い長い暗いトンネルを歩むことになるとは夢にも思わなかったろう。そしてタニノギムレットの娘ウオッカで史上初の父娘ダービー制覇を成し遂げる。

以前もここに書いたが、私が日高を取材していた昭和60年のころのカントリー牧場は、活躍馬もいず、夏休みに訪れるファンもなく、ひっそりと息をひそめているようだった。
この昭和51年のダーピーのころはまだ「タニノ」の冠は名高く、その後の長い低迷は見えていない。

二冠馬タニノムーティエの最大のライバルが関東代表のアローエクスプレスだった。その馬主がムーンライトミストの伊逹さんだから、脱線してしまったと思ったが、ムーンライトミスト話としてはうまく繋がってくれた。
ちなみに、アローとムーティエの初対決はスプリングステークス。アローは6戦全勝。ムーティエは11戦(もしていた)9勝2着1回4着1回。まあ谷水さんのスパルタ教育はあのころから凄かった。ウオッカはよく壊れなかったなとあらためて思う。

メジロ牧場解散──メジロの思い出──天皇賞

 名門オーナー牧場の灯が消える-。史上初の牝馬3冠を達成したメジロラモーヌなど数々のGI馬を生産、所有してきた有限会社メジロ牧場(北海道虻田郡洞爺湖町)が、5月下旬までに解散することがわかった。(夕刊フジ)
 同牧場の岩崎伸道専務が26日、本紙の取材に対して「解散の方向で動いていることは間違いありません」と認めたもの。原因について、岩崎専務は「成績不振と、競走馬の賞金で牧場を運営していくことに限界を感じたためです。まだ借金もありませんし、誰にも迷惑をかけないきれいな形で解散しようということになりました」とコメントした。
 関係者によると今夏にデビューする2歳馬は大半が売却済みだが、JRA所属の現役馬36頭や、1歳馬、繁殖牝馬の今後に関しては未定。洞爺湖町と北海道伊達市に所有している牧場については、「何らかの形で有効活用」(同専務)される見込み。
 メジロ牧場は1967年、馬主の北野豊吉氏が北海道伊達市に設立。吉田善哉氏の社台ファーム、和田共弘氏のシンボリ牧場と並んでオーナーブリーダーの草分け的存在だった。開業当初から続々と重賞ウイナーを送り出し、82年にはメジロティターンが天皇賞・秋を制覇。91年にはティターンの産駒、メジロマックイーン(所有名義はメジロ商事株式会社、生産は吉田堅氏)が天皇賞・春を勝ち、祖父メジロアサマ(70年天皇賞・秋)からの「父子三代天皇賞制覇」の偉業を達成した。86年にはメジロラモーヌが桜花賞、オークス、エリザベス女王杯を勝ち、史上初となる牝馬3冠に輝いた。90年代初頭にはメジロマックイーン、メジロライアン、メジロパーマーの“同期三羽がらす”がGIを席巻、競馬ブームを牽引する存在だった。(4/26 サンスポ)


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 だいぶ前から知っていた。それまでに自分なりの「メジロの馬の思い出」を書いておこうと思っていた。とはいえ仁義として正式発表前にそういうことに触れてはならない。「らしい」と聞いたときもショックだったが、こうして公になった記事を読むとまたあらたな感慨がある。
 とはいえそれは初めて知ったときも「まさか!」ではなく「やはり……」だったから、ショックの形としては、なんとなく物悲しい、諦念のようなものだった。古き良き時代の終焉である。

 しかしまた「ほんとにそれは古き良き時代なのか」と問われると自信がない。私は枠連しかなかった時代や、限られた種牡馬だけが活躍していた時代や、冠馬名は嫌いである。メジロの馬はそういう時代の象徴だった。だから「良き」かどうかは問題だが、オールドファンにとっての「ひとつの時代の終り」であることはまちがいないだろう。



 ちょうど天皇賞ウィークである。創業者である北野豊吉オーナーは天皇賞を最高の栄誉とした。
 メジロアサマ(秋天)、メジロムサシ(春天)、メジロティターン(秋天)、メジロマックイーン(春秋2回)、メジロブライト(春天)の5頭が優勝している。アサマはシンボリ牧場、ムサシは鍋掛牧場の生産馬なので、オーナーブリーダーとしての優勝はティターンが最初になる。マックイーンも正式には繁殖牝馬を預けていた浦河の吉田牧場で生まれているが、これはまあ預託だからメジロ生産馬であろう。また馬主名義も北野オーナーとメジロ商事名義で勝負服がちがったりしているのだが、些末なことなのでどうでもいい。

 シンボリの和田さんと一緒にパーソロンを輸入した北野さんは、和田さんが生産したパーソロンの仔のアサマで天皇賞に勝ち、そこから自分も牧場を持ちたくなる。それが後のアサマ、ティターン、マックイーンという三代による天皇賞制覇に繋がって行く。
 北野さんが亡くなったのが1984年。ティターンが秋天に優勝したのは1982年だった。数数の名馬を所有したオーナーブリーダーに「一番嬉しかったこと」なんて聞いたら失礼だが、精虫がすくなく種牡馬失格だったメジロアサマをなんとしても成功させようと頑張り、たった19頭の産駒の中から、ティターンが父アサマに次いで親子二代天皇賞制覇を成し遂げたこの日が、北野さんは一番うれしかったのではないか。享年80歳。あと7年長生きするとマックイーンによる三代制覇が見られた。



 あのころ、私にとって春の最大のレースは天皇賞だった。よく喩えられる言いかたに「ダービーは高校野球の甲子園、有馬記念はプロ野球のオールスター戦」というのがある。私が一番好きだったレースはオールスターの集う有馬記念であり、次が天皇賞だった。クラシックレースで一番好きだったのは菊花賞だ。皐月賞やダービーでしのぎを削ってきたライバル達の最終決戦。
 若駒のクラシック戦線は不確定要素が強い。菊花賞が終ると実力が確定する。逞しい実力派古馬が集うのが春の天皇賞だった。皐月賞馬、ダービー馬、菊花賞馬、それぞれが一堂に会する。私は運よくクラシックレースを勝った馬よりも、そこで惜敗した馬が、古馬となって充実し、その借りを天皇賞で返すようなパターンが好きだった。

 競馬の仕事をするようになって知ったことに、「競馬サークルの関係者はダービーを最高峰としている」がある。騎手、調教師、厩務員、生産者、誰もがダービー制覇を夢見ていた。それは有馬記念や天皇賞を最高としてきた素人競馬ファンの私には信じがたいほどの偏りだった。今はそれがすなおにわかるけれど。



 そうして時は流れ、菊花賞や天皇賞に代表される長距離は価値を落とした。イギリスのダービー馬がセントレジャーに出ず凱旋門賞に向かうように、日本の若駒の有力馬も菊花賞を無視して天皇賞秋を目標にするようになってきた。私もまたいつしか長距離レースに興味をなくしてしまった。マイルや2000メートルのほうがおもしろい。いま「××年の春天の優勝馬は?」と問われると考えこんでしまう。それほど興味のないレースになった。むかしはあんなに好きだったのに……。

 今上天皇の誕生日4月29日に開催されていた春の天皇賞は、1990年(平成2年)から該当する週の日曜日開催となった。4月29日は「みどりの日」という意味不明の祝日にされてしまったが、その後なんとか2007年に「昭和の日」に改名されて現在に至る。



 天皇賞はいつから日曜日開催になったんだっけと調べて1990年と知る。もう21年も経っているのか。メジロの馬が最後にG1を勝ったのは朝日杯FSのメジロベイリー。これが2000年。しかし朝日杯FSなんてのはG1とは言い難い。八大競走に限ると1998年のメジロブライトの春天が最後か。

 とりあえずメジロベイリーをG1馬と認めるとして、メジロのG1馬を知っている競馬ファンは、最低でも2000年から競馬をやっている人になる。4月29日が天皇誕生日の祝日であり、その日に開催されていた春天を知っている競馬ファンとなると、1989年まで溯らなければならない。
 昭和は遠くなりにけり、か。

 今回、メジロ牧場の閉鎖と聞いて感慨にふける人は、それなりのオールドファンということになる。基本は私のような昭和人間だが、マックイーンとトウカイテイオーとの一騎討ち、刺客ライスシャワーとの対戦等を知っているファンでも、これらは91年、92年、93年にかけてだから、二十歳で競馬を始めたとしても、四十歳になっていることになる。



 天皇賞春が古馬最高の栄誉だった時代。
 天皇陛下の誕生日に開催されていた時代。
 スタミナたっぷりのステイヤーこそが最強馬と考えられていた時代。

 なにもかもが変ってしまったが、メジロ牧場は、日本競馬のひとつの時代の象徴だった。
 それだけはまちがいない。
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