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リラコ師も状態の良さに太鼓判/オークス──外国人のリラコ調教師!?

rirako













「リラコ師も状態の良さに太鼓判/オークス」という日刊スポーツの見出しを見て、「今年のオークスには外国馬が出るのか!?」と思った。
外国人のリラコ調教師が、その外国馬の状態を褒めたと思ったのだ。しかしそんな話は聞いた憶えがない。でもそれなら、それはそれで楽しみだ。だけどいくら私がいいかげんでも、オークスに外国馬参戦なら知っていると思うが……。

 そうじゃなかった。記事を読んでみると、 「リラコサージュの状態が良いと藤原調教師が語った」ということらしい。「リラコ師」とは藤原調教師のことだった。

 スポーツ紙の見出しには不可解なものや笑えるものがいっぱいあるが、これはリラコサージュが大好きで、ふだんから「リラコ」と呼んでいないひとにはわからない。「リラコ師」とあったら、誰だってひとだと思うよなあ。 せめて「リラコ、師も」と読点が入っていればまたちがうけど。

 リラコサージュはLilac Corsageだから「リラ・コサージュ」。でも「リラコ」って呼ぶのか。わからん。

 ふつうに、「リラコサージュ、状態最高!」でいいと思うけど。
 それでいて「太鼓判」なんて、語源を問うたら知っているひとがほとんどいないであろう、というかもう、普段使うことなんてめったにない古い表現を交えている。

 それとも、リラコサージュを「リラコ」と呼ばない私がおくれているのか……。 
 なんだかね、スポーツ紙の記者ってのは(笑)。
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フジ競馬中継──大島麻衣の魅力とあやうさ──高島彩になるか菜々緒になるか!?

今年からフジの競馬番組で大島麻衣がレギュラーになった。
彼女らしい頭の回転の良さで能力を発揮している。しかし。

競馬のことをなにも知らないのに、頭のよさで背伸びしすぎている。
井崎さんのしゃべる何十年も前の話や、オタク的知識に、したり顔で頷いたりしてはいけない。
それは頭のいい若者の落ちがちな落とし穴だ。
知らないものは知らないまま、知らんふりしていたほうが自然である。

このままだとほんの半年ぐらいでいっちょまえのことをしゃべるようになるだろう。いや、もう、前回のゲストの時が初めての競馬であり、レギュラーになって二度目なのだが、三度目にはもういっちょまえのことをしゃべっていた(笑)。
それは長年競馬をやっているひとの支持を得る、というものでもない。
そのあやうさを誰か教えてやればいいのだが……。
頭のいい彼女だからこそ、初心者であることを自覚して「謙虚」を演じたほうがいい。
このままだと「ついこのあいだ始めたくせに生意気」になってしまう。

NHKの大相撲中継のゲストとして出た柴田理恵が、バラエティ番組の乗りではしゃぎすぎ恥を掻いていた。
大島もそうならないことを願う。頭の回転の速い反応の良さは、時にマイナスになることもある。

kanren6 NHK大相撲中継の柴田理恵



私がいままでフジの競馬中継で見て「見事!」と思ったのは高島彩アナだった。
まだ新人なのに、反応の良さが際立っていた。 飲み込みが早かった。勘が良かった。すぐに「こんなところにおいておくタマではない」と大抜擢されスターアナになったのは当然だった。ああいうのってお父さんのDNAなのだろうか。彼女はすばらしかった。

どうしようもないバカだったのが菜々緒というのであることはもう書いた。歴代最悪である。

高島になるか菜々緒になるか、大島の今後。

BSアンテナ購入記──これですこしはフジテレビの憂鬱から逃げられるか……

数日前に購入したBSアンテナを、晴れ間の出た土曜日に取りつけた。この種のことは得意だから角度合わせもうまく行き、土曜午後からはBS放送が見られるようになった。

アンテナと取りつけ金具で6000円ほどの品だったが、これも業者に取りつけてもらうと、いきなり18000円と3倍になる。不器用なひとは損だなと思った。



今どきこんなことを書いていると笑われそうだが、テレビを見なくなって長く、ふつうの放送ですら見ないのだからBSやらCSやらに興味のあるはずもなく、ほぼ初体験にちかい。
「ほぼ」というのは、7年前に住んでいた住まいに前住人の残していったBSアンテナがあり、友人がそれを取りつけてくれたので、ほんのすこし見たことがある。
昼からやっている大相撲や、年に何度か特集する将棋の竜王戦、名人戦を見たが、なにしろテレビその物に興味がないので、すぐに見なくなってしまった。

もちろん今後も有料放送を契約するつもりは毛頭ない。いまだグリーンチャンネルなんて見たことないし。何の自慢にもならないが見ないままの映画DVDが500枚以上ある。そんな私が映画専門局なんてのと契約したって見ないに決まっている。「囲碁将棋チャンネル」だけすこし興味があるが、しかしよく考えるとこれもウソ。山のように将棋番組を録画したDVDをもっているが、ぜんぜん見ない。



そういう私だが、最終レースが好きなので、これからはそれが見られる。楽しみだ。

メインを2万円買ったら、うまく当たって11万5千円になった。それで端数の1万5千円だけ最終で遊んでみる。負けてもいい。大穴を買う。この愉しさ。餘裕。
メインを2万円買ったら、とんでもないトリガミで3800円になってもどってきた。それを最終につっこんで、せめて元金の2万円にもどしたい。必死。このセコさ。追い詰められた気持ち。

ともにバクチの醍醐味?だが、これをラジオで聞くのはせつなかった。なにしろラジオは結果を断定的には言わない。
「1、2着は、××と◭◭、僅かに××が出ているか、3着は横一線、▲▲、□□、◆◆がほとんど同時」なんて言うものだから、◆◆を持っている私は、もしかしたら大穴的中かとわくわくする。やがてそれは5着と知る。あとで映像を見れば、どう見ても◆◆は5着であり、「もしかしたら3着」と期待した自分がバカのようだ。

今度からはこれが映像で見られる。自分の目で確認できる。うれしい。楽しみだ。



ちょうど昨日は土曜日だったので──というか土日の競馬中継を見たいとがんばって取りつけたのだが──午後4時からのBS競馬を見ることが出来た。いまテレビ神奈川やテレビ埼玉、テレビ千葉が、これをやらなくなってしまったので貴重な放送になる。BSアンテナを買ったのは、これが目的のようなものだ。

お笑い芸人TIMが司会進行をするこの番組を貶す競馬ファンもいるが、テレ東の番組もこれも、フジと比べたらずっとまともで楽しめる。なにより基本中の基本であるパドックとレースを見せてくれる。

そう、信じがたいことだが、世の中には、パドックやレースを見せてくれない競馬番組もあるのである。Win5という馬券を発売していながら、その該当レースを、その時間に放送していながら、見せてくれないのだ。ある意味、たいしたもんだと思う。まともな人間なら決して出来ないことだ。それで、その間に何をやっているかというと、ついこのあいだ競馬を始めた女タレントの予想などを流している。正気とは思えない。フジテレビというところの競馬番組だ。

午後2時から始まるBSの競馬番組は、そのまま続けてくれたらいいのだが、午後3時に、いろいろと力関係もあり、一度切れてしまう。そしてまた午後4時からやる。切れずに続けてくれたら、どんなにいいだろう。あのクソ番組を見ずにすむのに……。



不慣れなのでまだBSのテレビ番組表の見方すら覚束ないのだが、ネットで調べて、21時から有馬記念特番があると知る。見てみた。

まあまあおもしろかった。基本、レース映像があるので文句はない。
しかしテレビ局の「きれいな女を彩りに出さないと」というこだわりは笑える。まあたしかにむさ苦しい男ばかりよりはいいのだろうが……。

ふたりの女が出ていたが、ともに去年の有馬記念から競馬を始めたばかり。なら、「出演者それぞれの思い出の有馬記念」って、ふたりには去年のしかないだろうに(笑)。
なのに平然と「わたしの思い出の有馬記念は去年のオルフェーブルです」ってやるから笑える。



今日は、おおBS11は12時からやるのか。昼から酒でも飲みながら観るか。
が、14時半で一度終り、クソフジテレビにバトンタッチ。
16時から17時半まで、またやる。楽しみだ。

フジの実況、誰がやるのだろう。青島という話も聞いたが……、聞きたくない。
ま、無難にNHKにしよう。NHKもへたくそだから(そりゃ数が少ないのだからしょうがない)聞きたくないが、かといってラジオの実況を聞きながら映像を見る、とまで凝りたくもない。

NHKで笑ってしまったのは、シンボリルドルフのとき。「ルドルフ」というのは言い辛いのだろう、噛むことを避けるために、「シンボリ」としか言わなかった(笑)。
こりゃ馬に失礼である。シンボリルドルフを略すとき、ルドルフとは言うがシンボリとは言わない。ひどいアナだった。



このBSの時間になればラジオNikkei2歳ステークスの実況ビデオが見られる。録画して保存するのはそれにしよう。

一日も早く醜いフジのあれがこの世から消えますように!
模様替えしてももっとひどくなるに決まっている。前回の馬面の元バレーボール選手がやっているのもひどかった。フジテレビは競馬中継から撤退してもらいたい。後釜のどこが作ってもフジよりはまともになる。

15時からもUHF競馬中継が見たい

そのまま流してくれれば14時から17時まですんなり、シンプルで充実したいい競馬中継が見られる。
でも15時で中断し、あのくだらないフジテレビにせねばならない。

JRAが金を出してやっている番組である。
両方で流してくれないかな。
そうすれば、競馬ファンの多くはUHFを見るだろう。
だってシンプルだけど競馬ファンの見たいものを素直に流しているから。
そのことによって、JRAもフジも、自分達のやっていることのくだらなさに気づくはずだ。
金を掛けているフジテレビの視聴率の低さに、JRAも目覚めることだろう。

そのへんもまあ利権も癒着もあるから、そんなにシンプルには解決しないだろうが。

無理だろうけど、現状にはしみじみ情けなくなる。
なんできちんとパドックを見せてくれるUHFの番組から、くだらないタレントの予想などを見せるフジにせねばならないのか。 

みじめだ。

これってUHFを見られるひとなら誰もが思うことだろう。
(私も何十年も前は見ていたのだが、ここ20年ぐらいUFHを見られない環境にいたので)
ひさしぶりにUHFの競馬中継を見られるようになって、痛切にそれを感じている。 

フジの競馬中継はいらない。

柏木集保さんの絶品競馬エッセイ

 宝塚記念の週に「清水成駿サイト」に掲載された柏木集保さんのエッセイはすばらしかった。テーマから構成、競馬的深味、読後の餘韻にいたるまで、すべてに満点の絶品だった。
 

 
 以前も書いたが、「清水成駿サイト」は清水さんの有料予想サイトだが、無料会員登録をすると、月曜から金曜まで掲載される多士済々の競馬エッセイを読むことが出来る。だいぶ前からこれをやっていたので、先日「あなたはまだ会員になっていませんね」と有料会員になるよう催促のメールをもらってしまった。すみません。赤面。

 私は紙芝居というのをかろうじて知っている最後の世代になる。小学校二年ぐらいまで週に二回ぐらい、自転車に乗った紙芝居のおじさんが来ていた。路地裏に自転車を止めると、拍子木を叩いてこどもたちに触れまわる。紙芝居はおじさんから水飴やせんべいを買うことによって見ることが出来る。観劇料金だ。小遣い銭がなくてそれを買えないこどもは、見ようとしてもおじさんに追い払われる。私は母が紙芝居の水飴は不衛生だと小遣いをくれなかったので見られなかった。たまに友人のあとからついて行き、後ろからそっと覗いていると「買わない子は帰った帰った」と追い払われた。くやしかった。惨めだった。でも水飴を買わず無料で見ようとした自分の非は認めているからズルが見つかって恥ずかしくもある。複雑な思いだ。

 清水成駿サイトから「まだ会員になってませんね」と来た通知を読んだとき、水飴を買わず紙芝居を見ようとして追い払われたときの恥ずかしさを思い出した。



 で、こんなことを言ったら身も蓋もないのだが、私は今後も有料予想サイトの会員になることはないだろう。競馬予想は自分でするから愉しいのであって他人の指示された目を買うのはつまらない。
「元調教師が」「元騎手が」「元厩務員が」「東大卒の天才が」「生産者だけが知る情報で」etc……。あんなものに高い金を払うのはどんなひとなのだろう。理解できない。それはまたあらためて書くとして、柏木さんの絶品エッセイのこと。


 テーマは宝塚記念。ルーラーシップの話。
 母はオークス、秋天を勝ったエアグルーヴ、その母はオークス馬ダイナカール。その母はシャダイフェザー。柏木さんがこの一族と関わるリアルタイム競馬はシャダイカールあたりから始まる。シャダイフェザーの姉。ダイナカールは伯母さんの名をもらったことになる。
 思い出話。柏木さんが老調教師ふたりに話を伺っている。テーマはこの「シャダイカールからダイナカールあたりの話」である。老調教師ふたりは、最初はそれを意識してそのあたりを話しているのだが、いつしか話題はどんどん旧いほうへとズレて行き、もっともっと前の馬のことを熱心に語っている。柏木さんの知らない時代の競馬だ。ふと柏木さんと話しているのだったと気づき、またシャダイカールあたりに戻るのだが、やがてまたむかしの話になっている。老調教師がまだ若者だったころの馬の話だ。

 いわゆる「競馬青春」である。誰にも競馬青春がある。いちばん熱く競馬に燃えた時季。初心者だったし、愚かだったけど、その愚かさすらも懐かしいあのころ。話しだすと止まらなくなる。

 老調教師ふたりのそれに触れた柏木さんは、「自分もいつか」と思う。
 ルーラーシップが引退し、種牡馬になり、その仔が活躍する時代、老いた柏木さんが若手と話している。若手が老評論家の柏木さんに訊きたい意見は、ルーラーシップのことと、その母エアグルーヴについてなのだが、いつしか柏木さんはシャダイカールやダイナカール、それらのライバルだった馬のことを熱く語っている。
 そんな日が来るんだろうな、という結び。

 なんとも、気分のいい餘韻の残る、すばらしいエッセイだった。


 
 ところで、この柏木さんのエッセイは、今まで私が読んだ数多い競馬随筆の中でも最高ランクの名文だったが、かといってこれが誰もに最高のものとはならないだろうというのも明白。これは柏木さんにちかい競馬歴をもっていなければ楽しめない文章だ。
 ルーラーシップしか知らない若者はもちろんだが、エアグルーヴからしか知らないひとでも楽しめないだろう。あのオークスの名勝負ダイナカールを知っていることが必要条件なら、老調教師の青年時代はともかく、管理していたダービー馬タケホープ、オークス馬タケフブキ等を知っていることが十分条件になる。

 では老調教師ふたりが熱心に語る、私の知らない、それ以前の競馬も知っている年輩者は、柏木さんのこのエッセイをもっと楽しめたかというと、それもまたちがうと思う。
 この辺多少身勝手なのを承知で言うが、柏木さんのエッセイのフォーカスは、ダイナカールのあたりに絞られている。ならこのエッセイを最高に楽しめたのは、文中に登場するすべての馬と関わっている年輩者ではなく、柏木さんと同世代、柏木さんと同競馬歴のひとになる。そこに向けて発せられたエッセイだから。

 私は柏木さんよりも何年か競馬歴は遅れるのだが、さいわいにして全身でこのすばらしいエッセイを享受することが出来た。
 競馬は世代のものである。どんなに優れた文筆家であれタケホープやダイナカールを知らないひとにこのエッセイは書けない。そしてまたこのエッセイの味わいも、そういうひとには伝わらない。

 四十歳のひとが書いたこの種のエッセイはまだ青い。
 かといって古ければよいわけでもない。ワインに通じる。古すぎるワインは酢でしかない。
 柏木さんの書かれる競馬随筆がいま、最高品質の豊潤の時季を迎えているということなのだろう。それを受けとめられたこと、柏木集保さんと同時代に競馬を出来たことを誇りに思う。

皐月賞──ミホノブルボンCMの美

このシンプルなCMは大震災と被災者を意識した「金を掛けない地味な自重CM」である。
ところがここ数年のCMがあまりにひどかったものだから、T-Rexの「20th Century Boy」の良さと相俟って最高傑作になっている。競馬ファンの心を掴んでいる。

このことから学んで、競馬会と電通がまともなCMを作るようになることを切に願う。



が、これでは広告屋は金にならない。
すこし落ちついたらまたタレントを複数起用したくだらんものに戻るのだろう。
せめてこの時期だけの、良質なCMを楽しもう。


こういうことを書くとむかしのCMが好きだったように思われそうなので念のために書いておくと。
私は寺山修司や高倉健のものがよかったと言う気はない。そういうひととはまた感覚を異にする。ひとはいらないと思っている。
その点からも今回のモノは最高だった。馬だけでいいのだ。
競走シーンほど雄弁なモノはない。役者もしゃれたコピーもいらない。




ダービーの時は、私はカブラヤオーが望ましいが旧すぎると言われるだろうから、アイネスフウジンかサニーブライアンの逃げ切りシーンでどうだ。
いや皐月賞が逃げきりシーンだからダービーは追いこみか。
ミスターシービーかナリタブライアン。ディープやキンカメだと生々しいからもっと古くするだろう。仔が出走している種馬はまずいやね。
音楽は!? 
競馬には8ビートが合うが意表を突いてJazzやClassicという手もある。
(オレだったら、あのレースに、あの音楽を被せる)
と考えさせてくれるだけでも、今回のCMは楽しかった。


でも、繰り返すが、それでは金が廻らないから広告屋はいやがる。フジテレビの競馬中継がくだらん企劃を次々とやってはメンツを替えるのも、変ることで金が動くからだ。皐月賞のようなCMでは広告屋はJRAから金をふんだくれない。金の掛からないCMは彼らにとっては無意味なCMになる。今回はあくまでも「特別編」だ。

大震災のお蔭で、本来の競馬CMとも言える美しいものを見られたとは皮肉だ。
そしてまたミホノブルボンの父がマグニチュードであることも。


安馬のミホノブルボンが戸山流スパルタ訓練でのし上がってきたころ、種牡馬として良血のイルドブルボンが話題を集めていた。皐月賞でミホノブルボンを無印にしたスポーツ紙の記者が、「イルドブルボンの仔でもないのにブルボンの名を名乗っているニセモノ」と書いていたことを思い出す。

そもそも父マグニチュードもミルリーフの仔という、ミルジョージのまがいものとして話題になった種牡馬だった。ミホノブルボンはいくつもの頚木に縛られていたことになる。私はエルプスが大好きだったので好きな種馬だったけれど。
あの菊花賞も、松永キョウエイボーガンとの絡みがなければ三冠馬だった。だからこその挫折、ステイヤー・ライスシャワーの擡頭も美しい。

と書いていて思いだした。種牡馬マグニチュードの正しいカタカナ表記はマグニュード。マグニチュードと書いて提出してよく編集部に直された。いまだに直らない。


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【補記】──誉めすぎたので冷静に(4/24)

今までのCMがあまりにひどかったものだから基準が緩くなっている。誉めすぎた。
「あんなものがそんなにいいか」と言われるのもしゃくなので補記する。

気に入らない点は多々ある。
まずレースシーンが短すぎる。バランスが悪い。ミホノブルボンの凄味が伝わってこない。
写真にあるように真ん真ん中にJRAを被せすぎだ。もっと控え目にしろ。JRAがミホノブルボンを提供しているという上から目線なのだろうが、ミホノブルボンがJRAを支えているのだ。馬にロゴを被せるのは失礼だ。ちいさく控え目に右下にでも表記するのが日本人としてうつくしい。

それと「皐月賞が来る」と言っている。これは無神経なアサヒシンブンが『AERA』の表紙で「放射能が来る」とやって顰蹙を買ったように、この時期、あまりセンスのいいことばとは思えない。津波のこともあり【来る】はよくない。

言いだしたら切りがないが、光浦やマツコデラックスを起用しての、ClubがKlubになっていてなんてのよりは遙かにましだ。山野浩一さんが「ドイツ語ではKだ」と言っていた。聞いてよけいにかなしくなった。



JRAの競馬CMは、「ひとが競馬の魅力を語る」ようなのが多かった。
私もサラブレッドインフォメーションのコピーやラジオCMの原稿では、その視点からにした。
「ともだちと語る競馬」「恋人と行く競馬場」のような。
しかしそれはしょうがない。文字だけの文章や音だけのラジオではそれしかない。

テレビはちがう。映像がある。
たとえばディープインパクトの若駒ステークスだ。
あれを見たなら、競馬に興味のないひとでも、誰もが「すげえ!」と思うだろう。
ひとを興奮させるすべてが詰まっている。
あの直線を見せて、JRAと被せればなにもいらない。

これをきっかけに競馬CMが正当になることを願うが、喉元過ぎればで、けっきょくまたあの流れに戻ってしまうのだろうなあ……。

田原成貴考2──清水成駿氏の迅速な対応

もしかして清水さんは田原と最も親しい関係だからこそ、当面事態が落ちつくまで一切発言をしないのではないかと思っていた。そうではなかった。早速今日厳しくも適確なコメントを出した。すばらしいと思う。以下引用。

<SUPER SELECTION メールマガジン「清水成駿の競馬春秋(09/10/22)」

【「まさか」と「またか」の田原成貴】


 田原成貴が大麻取締法で身柄確保の一報が届いたのは先週の木曜日。「競馬最強の法則」で当方との対談をコーディネートした編集長の岩神氏からである。

 つい先日、「ジャパンカップ号」の対談DVDを撮り終えた矢先の逮捕劇。一報に「まさか」と「またか」が頭の中で交錯した。本日の報道では大麻だけではなく覚せい剤容疑も加わっている。2度目はダメだ。無念を通り越して「馬鹿野郎」としか言いようがない。もちろん、当方以上にショックを受けているのは、これまで成貴を親身になって裏で支え続けた岩神氏。誌面の差し替えに始まって、新聞広告やDVDのストップ。ガックリ肩を落とした中での後始末くらい情けなく、疲労困憊することはない。

 成貴には個人的にみてロックバンドを除けば、あり余る才能がある。最近、バンドを組んだというのが少し引っ掛かっていた。もちろん、釘はさした。

 ハイ・テンションでエキセントリックな性格は、常に放っておけない危なっかしさと「人なつっこさ」とを内包している。「馬鹿野郎」と言ったものの人柄は今も憎めない。実際、賢い奴だから、それを自分自身が一番よくわかっている。根はそこかも知れない。だから人にも薬にも家族にも甘える。

 決して弱い人間ではない。弱いといったら、そもそも人間はみな弱い。そんなことで2度目の逮捕は片づけられない。電話で奥方は、「2度目だから別れます」と気丈に言い切ったそうだ。暗に「あなた方が主人を甘やかすから…」とは聞こえまいか。チクリと胸に痛い。(後略)

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私は今朝、このニュースを知った。その後の報道で、田原が警察に身柄を拘束されたのは14日と知る。8日も前だ。先週の水曜日。近しい関係の清水さんはその翌日、15日の木曜日に知っていた。とすれば清水さんには充分に考える時間があった。今日の発言は準備し用意していた当然のものと言える。「迅速な対応」は今日知った私の感覚であり、清水さんはこの一週間、「田原のバカヤロー」と腹立っていたことになる。感激するほどのことではないか。



「競馬最強の法則」の岩神編集長の名前が出ている。私が「オグリキャップ写真集」の話を馬主の佐橋さんから打診され、相談に行ったのが岩神さんだった。そのころKKベストセラーズは高本公夫さんの馬券本は出していたが、まだ「最強の法則」は出ていない。いや不定期ムック本でもう出ていたのだったか。どこかの競馬パーティで岩神さんと名刺交換をし、そのムック本を贈ってもらってのつきあいのような気がする。あれからもう20年か。
問題を起こして競馬界を追放された田原を、だからこそと逆手にとって岩神さんは馬券雑誌の売りにした。私はその戦略を「うまいなあ」と感心していた。目立ちたがり屋の田原にとっても忘れられたくはないから、この企劃は持ちつ持たれつだったはずだ。それがこの結末。岩神さん、清水さんは無念だろう。

清水さんは「弱い男ではない」と書いているけど、何度も覚醒剤に走るのは弱い男だよね。

「血と知と地」から学ぶこと③──マスコミへの接しかた


社台の善哉さんとシンボリの和田さん、競馬マスコミの好き嫌い


◆下記の「馬喰の好き嫌い」の附記として書いたが、こんがらがるので独立させた。


始めからの理解ではない──誤解のないように


 競馬界の大物であるシンボリの和田共弘さん、シャダイの吉田善哉さん。
 両者にインタヴュウした記者はみな口をそろえて、善哉さんを称え、和田さんを批判する。
 和田さんが競馬マスコミなどどうでもいいと冷たい態度を取ったのに対し、善哉さんは理解ある態度を示したからだ。


 和田さんが「活字になったからといって馬が強くなるわけではない」と公言し、まとわりつく取材者を邪魔物扱いしたのは有名だ。対して善哉さんは、そういう態度を取るスタッフに、「このひとたちはこれが仕事なのだから」と庇った(庇われたライターから聞いた話)という。この両者のちがいは大きい。とにかく全般的に、競馬マスコミ人にとって、和田さん不評、善哉さん好評である。



 ということからも、今回読みなおして気づいた「善哉さんは馬喰ということばを好んでいた」という話は印象的なのだが、これだけだと「善哉さんいいひと、和田さんいやなひと」だけになってしまいそうなので、すこしフォローしておきたい。



 私が社台と長年親密に関わってきたこの本の著者・吉川良さんと親しくおつき合い頂き、あれこれ聞いた裏話の中で強く印象に残っているのは、吉川さんの懊悩である。


 吉川さんは文筆家としての誇りが高い。吉川さんの根源は「世界一の大金持ちも貧乏人もみな同じ人間」という視点だ。一見卑屈な書きかたをするときもあるが、それはこの味を強調するための手法である。吉川さんの腰の低さは、微風に吹かれただけでもすぐに頭は下げるがぜったいに折れない野草のつよさに似ている。

 いや吉川さんの中には明確な順序がある。人びとを魅了する音楽や絵画を創ったひと、すなわち藝術家礼讃だ。それは三人の娘さんをみなそっち方面に進ませたことからもわかる。そして一方、権力を手にして悦にいる政治家や金持ちを蔑視する。


 吉川さんはいつも馬産家から人間あつかいされないことを嘆いていた。馬産家が好きでちかづいて行く。しかし「個」で馬産をやっているひとたちにとって、競馬物書きなんてのはまとわりつくハエでしかない。冷たくあしらわれる。

 吉川さんはMなので、それでも近寄って行き、その「冷たくされたこと」を味のある随筆にしたりする。これなんかは私には出来ないことだ。冷たくされたらもう近寄らない。屈辱を感じたらそんな仕事はやめる。

 社台のことを頻繁に書いている吉川さんを、社台のたいこもちをしているヤツだと、ある日高の生産者が「よぉ、しゃだいこ」と呼ぶ。顔が熱くなるような侮辱だ。吉川さんはそれすらも文章にしてしまう。ほろりとする随筆に仕上げる。鉄人だ。


 私はこれを初めて読んだとき(昭和50年代)、この「しゃだい」と「たいこもち」をかけた「しゃだいこ」を、うまいなあと思ったことも正直に書いておく(笑)。



 ところで、ここでまた明言しておきたいが、私は冷たくされたからと言って、それに立ちむかってはゆかない。批判はしない。これは私のひととしての基本なので、本論から脱線するが書いておきたい。

 某競馬ライターが某騎手を絶讃していた。その騎乗ぶり、仕掛けのタイミング、すべてを熱く語っていた。会ったことのない騎手だ。レースっぷりから騎手として惚れていた。それはそれはもう絶讃していた。
 私はその騎手が大嫌いだった。たしかに騎手としては見るべきものはあったが、初めて登場したころから、どうにも虫の好かないヤツだった。大レースではそいつの乗る馬は真っ先に消していた。私がこいつをいかに嫌いだったかは、古い友人が証明してくれる。筋金入りの大嫌いだ。

 その某ライターが、その某騎手に初めて会って取材することになった。すると某騎手は待ちあわせ時間に遅れてきた上に、ライターが喜んでもらえると思ってセッティングした店に対しても、「なんだこのこ汚い店は!」と暴言を吐いた。つまり、そのライターは、かってにその騎手にイメージを抱き、そんな店が好きにちがいないと思っていたのだ。片想いの思い違いである。
 険悪な雰囲気になり、騎手はインタヴュウも受けずに帰ってしまった。

 その屈辱から、一転してこのライターは、この騎手のアンチとなる。事の顛末を詳細に競馬雑誌に書き、この騎手批判を始める。もともと批判の多い騎手だったが、それはみな雰囲気的なものだったから、劣悪な人間性丸だしのこの事件は批判として出色だった。話題となり、多くの賛同者を得た。

 しかし私は不快だった。こういうのは最低である。マスコミ人として、してはならないことだと私は思う。惚れて同棲していた女に、浮気され別れたからといって、閨房の中の出来事まで曝して悪口を言いたてるようなものだ。
 ずっと嫌いだったのならまだいい。そうではない。大好きだったのだ。絶讃していたのだ。
 惚れたのは自分。裏切られたのも自分。すべて自分の中に治めるべきであろう。裏切られたからと言って悪口を言ったら、惚れていた当時の自分が惨めだ。なぜこの某ライターはそのことが分からないのだろう。

 いや、男と女の場合とはまた違う。この某ライターが某騎手に惚れていたのは片想いなのだ。かってに惚れておいて、理想化しておいて、現実が理想と違ったからと、冷たくされたからといっていきなり悪口ではたまらない。この騎手の肝腎の「騎乗」は、惚れていたころも不快なことがあってからも変っていない。変ったのは某ライターの心象風景だけなのだ。

 だから私は「某騎手を批判する某ライターの文章を批判する文」を書いた。


 その某ライターが競馬を始める前から、その某騎手が大嫌いだった私が、某騎手を擁護する論を書いたわけである。まったく珍妙なことになった。
 とにかく敵の多い騎手だったから、私の文もまた批判の嵐に遭った。「あんな騎手を擁護するとは狂っているのではないか。現場を知らないのではないか」とまで言われた。

 私の場合、騎手などどうでもよかった。言いたいことはそのライターの姿勢だった。「男の生きかた」として、「一度あれだけ誉めたものを、いまさらボロクソにいいなさんな」である。


 そんなわけで、私は吉川さんのように、イヤな目に遭わされた相手を手の中で転がして随筆にする気もないが、かといって、いやな目にあったからといって、そのひとを批判する文章を書いたりもしない。黙って去るだけである。
 そこは強調しておきたい。吉川さんにはなれないが、某ライターのようなこともしない。



 本題に戻って。
 善哉さんは競馬マスコミが好きだったのではない。むしろ興味のなさ、嫌悪は和田さん以上だったろう。「いくら活字になっても馬は走らない」は、善哉さんにとっても真実であり、本音だったはずだ。

 善哉さんは「夢」ということばを嫌い、「欲」ということばを好む。これもこの本で知ったことだ。またそのうち書きたい。おもしろい感覚のひとである。この本は、こういう興味深い感覚が溢れている名著、快著、奇著である。


 その「欲」のために、ある日善哉さんは「こいつらも役立つ」と気づく。
 善哉さんにとって欲とは誰にも負けない強い馬を作ることである。その馬で競馬を勝ちつづけることだ。そのことしか念頭にない。
 ある日、そのために競馬マスコミというのもそれなりに役立つのではないかと気づく。役立つのならそれなりに接してやらねばと態度を改める。それだけのことである。それだけのことでしかない。



 この本の中で、吉川さんは、善哉さんが最初のころは会員誌「サラブレッド」に対して熱心でなかったことに触れている。最初は「あんなものなんの役にたつんだ。経費の無駄だ」ぐらいの感覚であったろう。

 ところがそうではなく、ああいうもので世にアピールし、会員を増やし、シャダイの人気を挙げることが、よりよい馬の購入にもつながり、ひいては強い馬の生産、自分の「欲」の実現に直結しているのだと気づく。そういう時代なのだと。
 それからは会報を大事にし、「このひとたちも仕事なんだから」と競馬マスコミを庇うようにまでなった。最初からそうだったのではなく、気づいて変身したのである。
 
 気づいて変身した善哉さん。最後まで気づかなかった和田さん。



 善哉さんと和田さんの違いは、自分達の「欲」を叶えるための方法論の差であったろう。

 造り酒屋の出である和田さんは、「手作り良品」を作ることにこだわった。そうして作った最高傑作がシンボリルドルフである。自分のところの血統で作った馬に、スパルタ教育を課し、掌中の玉として磨きあげた傑作だ。野平調教師もよく口にしていたが、母の父がルドルフ以前のシンボリ牧場の最高傑作スピードシンボリであることは、和田さんにも誇りだったろう。


 生まれながらの馬喰の子であった善哉さんはもっと大きな視点で見た。よりよい血統を揃え、土壌を改良し、スタッフを充実させてゆけば、強い馬はいくらでも出て来ると考えた。


 我が国競馬史上2頭いる無敗の三冠馬。和田さんのシンボリルドルフ、善哉さんのディープインパクト。(ディープは善哉さんの死後の馬だが、サンデーを購入した善哉さん路線の上にあるのは言うまでもない。)

 スピードシンボリの肌にパーソロンをつけ、スパルタ教育で育てあげたシンボリルドルフ。まさに「精魂込めて創りあげた手作りの逸品」である。失礼ながらパーソロンの現役時の成績なんてひどいものだ。とてもとても無敗の三冠馬の父になる種牡馬ではない。

 対してディープインパクト。アイルランド生まれ、イギリス調教、ドイツのGⅠを買った輸入繁殖牝馬ウインドインハーヘアに、アメリカの二冠馬サンデーサイレンスをつけて生まれた馬。同じような背景の同期生は100頭はいよう。ディープがならなければ他の馬がなっていた。登場すべくして登場した馬だ。善哉さんの「欲」の結晶である。



 ばくろう大好きといった善哉さん。「伯楽」に激怒した和田さん。
 ふたりの違いは、この馬産の方法論にも顕れているように思う。


 


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論点がぼけたので、まとめます


 書くことがありすぎて、論点が呆けてしまった。言いたいことがずれている。この項で本当に言いたかったことをシンプルにまとめる。
 マスコミを軽視する和田さん、大事にする善哉さん、その心の背景である。


 たしかに和田さんは競馬マスコミを軽視し、評判が悪かった。だがそれはありもしないことを書いて不愉快にさせる「ろくでもない競馬マスコミ」に対してだけではなかったのか。


 一方、善哉さんは、競馬マスコミにも存在価値ありと認めて、それなりの対応をした。でもそれは自分に役立つからと認めただけであって、奥底ではどうでもいいものではなかったか。


 つまり、真の文人というものがいるとして。
 和田さんは、ろくでもない競馬マスコミは嫌いだが、真の文人は、すなおに認め、尊敬したのではないか。和田さんが競馬マスコミを嫌ったのは、それが和田さんの認める文化とあまりに離れていたからではないのか。

 善哉さんは、世間的に高名などんな文学者であろうと、自分の馬産に役立たない人間は、いてもいなくても同じだったのではないか。
 私が言いたいのはここになる。



 社台の隆盛を嫉妬する日高の生産者から「しゃだいこ」と呼ばれるほど社台に密着し、あの善哉さんの運転するベンツの助手席に乗って1対1の会話をしつつ、吉川さんが常にいらだっていたのはそれだったのではないか。
「表面はにこやかだが、このひとはおれの存在など認めていない」という。


 男と女で言うなら、「家事全般に優秀なパートナーとして、不可欠な存在と認められてはいるが、女としては愛されていない」ようなものである。
 文人として、吉川さんは、善哉さんに、女として愛されたかった。ドキドキされる存在になりたかった。唯一無二の愛の対象になりたかった。だが馬産しか頭にない善哉さんにとって、吉川さんは路傍の風景以上にはならなかった。



 テーマが散ってしまったが、和田さんと善哉さんの違いで、私が言いたかったのはそれになる。つまり、一見悪役の和田さんだけれど、藝術を愛する、いわゆる「純粋な少年の心」は、むしろ和田さんの方にあったのではないかと。


 書ききれない。すぐにパート4を書かないと。

細江純子さんのこと──矢野広行さんのメールより

「週刊競馬ブック」等に書いているターフライターの矢野さんが、細江さんに関してメールをくれた。
 コメント欄に書きこもうとしたら400字制限で書ききれなかったとのこと。
 こちらで紹介します。以下は矢野さんの文章です。

 

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【細江さんは、浦和で見かけたことがある。イベントがあるわけでもない普通の開催日だった。重賞でもなかったと思う。
 白いコートを着ていてパドック付近に立っていた。何だか華があり、いったい誰だろう…遠くて顔がわからない。
 しばらくして、本場場入場を見るために歩いてたら、たまたま近くにいた。はじめて彼女だとわかった。
 
 タカハシカヨコは日々取材だろうから、たまに南関に行って(広いわ混雑してるわの大井は別として)見かけなかったことがほとんどない(川崎ではバスでよく会った)。…くらいだからきっと毎日ご出勤だろう。最近、おいらには用もないブログ(SPATのあのうっとおしいバナーに当初ひどくいらついた)も始まってるし。

 

 話を戻す。細江さんは、すでに使われてる言葉だが、至極、まともなひとだと思う。馬に乗ること、競馬が好きなのだろうと思う。
 シンガポールで勝ったのが小さくニュースになった時、中央では不遇をかこって消えていくんだろうなと思ったら、やはり。
 彼女が新嘉坡でずっと乗り続けたらどうだったのだろう…最近になってそんな空想をしたりする。
 
 私もカワイが嫌いなので、「カワイ」の文字が散見される部分じつは読み飛ばして、これ書いた。
 ちなみに『みんなの競馬』は一度も見たことがない。】

 

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註・矢野さんはいま、岡山在住。

ターザン山本と「最強の法則」の高感度(笑)

 ターザン山本さんがネット上の日記で、女性に対してだったか、「高感度アップですよお」のようなことを書き、2ちゃんねるのスレで、「先生は感度をアップすることが出来る」と揶揄されていたことがある。もちろん好感度のまちがい。


 山本さんが小牧太騎手にインタヴュウした今月号の「競馬最強の法則」を読んでいたら、そこでも山本さんは、勝利騎手インタヴュウで嬉し泣きした小牧騎手に「高感度アップ」を使っていた。感度がアップして小牧はますます泣き虫になりそうだ。



 これは山本さんのテープ起こし原稿である。山本さんは常に「こうかんど」は「高感度」と書いてしまうのだろう。これはこれでしかたない。よくある思い込み、勘違いだ。誰にでもある。
 しかしそれを「最強の法則」の編集者が「好感度」に直さずに出してしまったのだ。この編集者は御粗末である。


 この種の漢字は意図的につかったりもするが、この一例はどう見ても単なるミスだろう。

 よくあることだしふだんなら気にしないが、2ちゃんねるのターザンスレを読んでいたので、目に留まってしまった(笑)。



 私自身は山本さんと同じレベルなのでえらそうなことは言えない。
 でも私の文章をチェックしてくれるひとは山本さんの関係者よりも上、とは言いきれる。

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